パウロはコリントの町で1年半滞在し福音を伝えました。それは大変厳しい伝道でありましたが、主イエスを信じる人たちが起こされ教会ができました。しか
し、パウロが去った後、偽りの教えを教える教師たちが入ってきて、パウロの教えとパウロ自身をも否定したのです。
偽りの教えと言うのは、違う神を信じろと教えたのではなく、イエス・キリストを信じるだけで罪赦され、永遠の命が与えられるという教えは間違い。救いと
はそんな簡単に得られるものではない。彼らの教えは律法の掟をしっかりと守って行くときに、神は私たちを愛され、赦され、天国に行けるのだ。それを聞いた
人たちは、パウロの教えよりも、彼らの教えを信じたのです。
同じような事がガラテヤ教会でも起こりました。パウロはそのときに言いました。「キリストの恵みへと招いてくださった方から、あなたがたはこんなにも早
く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人
々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎません」(ガラテヤ1:6−7)。私たちもパウロと同じ思いになることがあります。教会
でも与えられた恵みを捨ててしまう人がいます。悲しい事です。
パウロは私たちに何を伝えようとしているのか。神が私たちに与えてくださった一番の恵み、それは主イエスご自身である。「神は、その独り子をお与えに
なったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。これこそ、最高の恵みです。
考えて見ますと、私たちは救われる為に何をしたでしょうか?何か努力したでしょうか?どれだけ求めたでしょうか?私たちが教会に来たからですか?聖書を
読んだからですか?善い行いをしたからですか?いいえ、神様が一方的に、無条件で、無代価でイエス様を与えてくださり、私たちの罪の赦しの為に十字架にか
かって死んで下さいました。パウロは言います。「神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません」(6:1)。