エジプトを脱出した彼らが海辺に宿営しているときの事です、後ろからものすごい音が聞こえてきた。振り返ると、何とエジプトが全軍をあげて解放したはずの
イスラエルの民を追って来たのです。彼らは今にも襲いかかろうとしているエジプト軍に恐れをなし、神とモーセに言いました。「我々を連れ出したのは、エジ
プトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導きだしたのですか」(14:11)。そして「こんな荒れ野で
死ぬより、エジプト人に仕える方がましだ」と言った。つまり、こんな思いをするくらいなら奴隷に戻ったほうが良いと考えたのです。
モーセはうろたえる民に答えた「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」(14:13)。これから「主が
あなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」(14:14)。主の約束の言葉です。目の前は海、後ろからエジプト軍。この絶対絶命の状
況から、この後、主の約束に嘘がない事を彼らははっきりと知る事になるのです。
「モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風を送って海を押し返されたので、海は渇いた地に変わり、水は分かれた。」(14:
21)。彼らはその中を通って脱出しました。エジプト軍も彼らを追って、その海に入って行きますが、またモーセが手を海に向かって差し伸べると、海はもと
の場所へ流れ返った。こうしてエジプト軍は全滅した。主の約束通り「主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた」(14:30)。こ
の御業を見て、民は主を畏れ、モーセを信じたとあります。
私たちの人生は「山あり谷あり」です。良い事も悪い事もあります。だから「諦めろ」ではなく。どんな状況の中にあっても「主に信頼を置く人は失望しない」と約束してくださっている神に信頼を置くのです。
パウロはアブラハムの事について次のように言っています。「彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ、信仰によって強められ、神を賛
美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたからです」(ローマ4:20)。聖書の約束は必ず成就することを確信しま
しょう。