「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5:9)私たちひとりひとりの使命、また教会の使命は平和をつくりだす事で
す。しかし、平和をつくる事は本当に難しい事です。私たちは平和をつくるどころか、トラブルをつくってしまう事の方が多いのではないでしょうか。その現実
に真正面から向き合って見てください。自分の中に自己中心という罪がどっしりと根をおろしているのに、それに目を向けないで平和、平和と言っている自分
に、今こそ真剣に目を向けるべきです。そのとき、私たちはどうしても救い主が、助け主が必要になることが分るのです。
こんな話があります。宣教師の子として中国で生まれたスティーブン少年は、戦争が始まると同時に民間人収容所に入れられてしまいます。当時14歳だった
彼は日本軍に対する横暴と暴力に、次第に憎しみを募らせていきます。しかし、彼のいた収容所には元オリンピック選手の宣教師がいました。彼が開いていたバ
イブルクラスで「自分の敵を愛しなさい」という主イエスの教えは、ただの理想か、それとも現実的な教えかという議論が持ち上がった。皆なの意見は、それは
理想で、日本兵を愛することなどできないという結論に至った。そのとき宣教師はこう言ったそうです。僕もそう思っていた。でも、主イエスのその言葉には
「迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)という続きがある。愛せなくても、祈ることならできるはずだ。
そして宣教師はスティーブン少年に「憎む時、君は君中心の人間になる。祈る時、君は神中心の人間になる」と教えたと言います。宣教師はその後収容所で亡
くなり、スティーブン少年は帰国後、あれほど憎んだ日本人の魂の救いのために来日、それ以来日本で宣教し続けた。「赦しなさい」という主イエスの言葉は、
平和を実現するために直面しなければならない神と私の戦いです。まず、神様との個人的な平和の関係がなければ世界の平和も無いのです。「赦しなさい。そう
すれば、あなたがたも赦される」(ルカ6:37)。そこに真実の平和をつくる者の尊い戦いがあり、祈りの戦いがあるのです。