「ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それでわたしたちは異邦人へ、彼らは割礼をうけた人々のところに行くことになったのです」(2:9)。
ヤコブ、ペトロ、ヨハネは初代教会「エルサレム教会」に属している人たちで、ユダヤ人を中心とした教会でした。一方、パウロとバルナバはアンティオキア教会に属している人たちで、教会にはユダヤ人も異邦人もいました。
同じキリスト教会ですが、互いに特徴があり、エルサレム教会はユダヤ人が中心ですので当たり前のように律法が重んじられていました。一方のアンティオキ
ア教会は異邦人もいましたので厳しい律法は適用されませんでした。*適用された内容は:偶像に備えられた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血
とをさけることでした。異邦人に対して割礼をしなくても良いとなった。(使徒言行録15:20)。しかし、異邦人クリスチャンにとって条件をつけられるこ
とは苦痛であり納得できなかったことでしょう。
あるときペトロがアンティオキアで異邦人と一緒に食事をしていたとき、そこにエルサレム教会から人々がやってきました。するとペトロたちは彼らを恐れ
て、その場から身を引いてしまいました。これは律法に異邦人と一緒に食事をしてはならないという掟があったからです。ペトロたちは異邦人と一緒に食事をし
ていたことがエルサレム教会にばれるのを恐れたのです。
これらのことから分るようにエルサレム教会とアンティオキア教会は相いれない関係であることが分ります。しかし、エルサレム教会のおもだった人たちとア
ンティオキアのおもだったひとたちが、一致のしるしとして右手を差し出したのです。まったく違う教会のどこに一致があったのでしょうか。それは「わたした
ちは異邦人へ。彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになった」(9)。違いは違いとして認めながら、しかし「伝道」に関して教会は一致していったの
です。仙川教会はどうでしょうか?