【礼拝メッセージ 】
2015年10月4日
山岸 明牧師
ダビデは一介の羊飼いからイスラエルの王になった人です。ダビデは神様から愛され、ダビデも忠実に神に仕えていました。戦争を繰り
返す中でもダビデは祝福され勝利を収めていきました。国も力が強くなって安定してきました。そんな時、ダビデの心におごりが出て、ついに大きな罪を犯して
しまいました。物事が順調に行っているときなど気を付けなければいけません。そこからおごりが出てきます。おごりが人間の意志を優先させて、神様から離れ
ている事すら感じなくなってしまうのです。
ダビデの犯した罪とは何でしょうか、それは忠実な部下の妻と不倫をし、姦通の罪を犯したのです。更に、その罪を隠すために部下を戦争の激戦地に送って殺
してしまいました。そして、その妻を奪ったのです。ダビデは心の中で“うまくいった”と思ったでしょう。ダビデの信仰はどこへ行ってしまったのか。信仰に
おいてすぐれた人間でも、信仰が眠りこけてしまっているとき、その心はサタンに占領されてしまうのです。
しかし、人の目はごまかせても、神の目はごまかせません。神は預言者ナタンをダビデのもとに遣わしました。ナタンはダビデに言いました。「二人の男があ
る町にいた。一人は豊かで、一人は貧しかった。豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。貧しい男は自分で買った一匹の雌の小羊のほかに何一つ持ってい
なかった。彼はその小羊を養い、小羊は彼のもとで育ち、息子たちと一緒にいて彼の皿から食べ、彼の椀から飲み、彼のふところで眠り、彼にとっては娘のよう
だった。ある日、豊かな男に一人の客があった。彼は訪れて来た旅人をもてなすのに、自分の羊や牛を惜しみ、貧しい男の小羊を取り上げて自分の客に振る舞っ
た」(サムエル記12:1−4)
「ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った。主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ。ナタンはダビデに向かって言った。その男はあなただ」
(12:5−7)。それを聞いて身を震わせたと思います。ダビデはひざまずき「わたしは主に罪を犯しました」と罪の告白したのです。私たちにとって大事な
ことは、罪を犯さない事よりも、罪に対して素直である事です。なぜなら、誰も神様の前に自らを罪なき者と言い得る存在ではないからです。