【礼拝メッセージ 】                                                      2015年10月18日 

 『主のみ業に参加する
     

コリントの信徒への手紙(一)12章12-31節

吉野輝雄執事


  良く知られている今日の聖書個所は、教会に限らず生きた人間組織や共同体の本質を分かりやすく伝えてくれます。教会であれば、いろいろな役割を担う人が必 要で、それぞれが得意とする分野で能力(タラント)を発揮し、互いに助け合い補うことで全体が健全に成長し、結束力(つながり)の強い集団となるヒントが 得られるでしょう。
 しかし、パウロがここでコリントの信徒に伝えようとしたのは、そのような組織論だったのでしょうか?キリストの体の一部(肢体)として生きよ、という メッセージではないか。では、具体的にそれはどんな生き方なのか?パウロのメッセージを念頭に置きながら、個人的信仰体験、仙川教会のこれまでの歩みの中 から学んでみよう。そして、ビジョンをもって未来に向かおうとしている仙川教会が、今主から求められている最も大切なことは何かをご一緒に考えてみたい。
  キリストに救われ、主の恵みに与った私どもキリスト者は、日々の生活、教会での交わりと奉仕、実際の生活の中で主のみ業に喜んで参加することが求められて います。私どもが破れと弱さを抱えている事をご存知でありながら、主はあるがままの姿で応えることを期待しています。キリストは、私どもをご自分の体の一 部として招き入れ、永遠の命に生きる者として下さっているからです。主の体につながっている事を信じ実感しながら生きていると、主にある不思議な安心と平 和につつまれ、心身に生命力が湧いて来るのを感じます(ピリピ4:27)。恵みの体験です。その恵みに感謝し、「進んで心から」(出エジプト記 35章)証しする者となりましょう。それが自分を生かし隣人に仕える生き方であると私は信じます。 
 教会も同じです。教会が主の体につながっていれば、人の思い、成果などに惑わされず、主が霊の糧を一人ひとりに豊かに与えて下さり、主の体に連なる肢体 が大切にされ成長して行く、と信じます。それは主のみ業だからです。それが「主のみ業に参加する」ことだと、私はこの度の聖書から学ばされています。