【アドベント第 2週 礼拝メッセージ 】                                                      2015年12月6日 

 『みんなで祈ろう』
     

使徒言行録12章1−5節

山岸 明牧師

 私たちは日々、様 々な祈りをします。感謝の祈り、必要を求める祈り、癒しの祈り、中には言葉にならない呻きのような祈りもあります。祈りは一方通行ではなく神との対話であ ります。たとえ“たどたどしくても”言葉が美しくなくても、自分の言葉で祈りたいものです。主イエスもたびたび弟子たちから離れ、ひとりで祈られました。 私たちも一人になって祈ることが大切です。ときに祈りが苦痛にまるときがありますが、しかし、苦痛の奥には恵みがあることを信じて祈りましょう。

 また、個人の祈りも大切ですが祈りの友を持つことも大切です。初代教会を見てみると「共に」「心を合わせて」「ひたすら」祈ったことが記されています。 「ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。そして、それがユダヤ人たちに喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕えよ うとした。ヘロデはペトロを捕えて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。」(1−4)。このペトロを助けることなど絶対に不可能、もはや 絶対絶命。それに対して教会はどうすることもできませんでした。この危機に際して教会がしたことはただ一つ、皆で祈ることでした。使徒言行録は、この「共 同の祈り」がどれほど大事であるかを私たちに教えています。

 教会における共同の祈りとして大切なのが祈祷会です。使徒言行録は一同が集まって心を合わせて熱心に祈っていたところから始まっています。一同が集まっ て熱心に祈っていたところに聖霊がくだり、そして教会が誕生しました。先日、辻宣道牧師著の「教会生活の処方箋」を読んでいるときに、ある言葉に目がとま りました。『祈祷会がしぼんでいる教会は活力のない教会です。伝道する力を失った教会です。』私たちの教会の祈祷会はどうでしょう?

 仙川教会も「共に」「心を合わせて」「ひたすら」「祈る」教会へと成長したいものです。そして私たち一人一人の祈りも、共同の祈りも共に深められていきましょう。祈りの成長こそが信仰の成長であります。そして祈りはクリスチャンの最高の武器であることを覚えましょう。