「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ地に落ちることはない」(29)。またルカ福音書では「その一羽さえ、神はお忘れになることはない」と仰せられる。
当時、捕えられた雀は貧しい人の食料として市場で売られていました。2羽で1アサリオン、当時の最小単位の銅貨です。1羽では値がつかない
ほど価値の低いものだったのです。ルカ福音書では2アサリオンで5羽となっていますので1羽はおまけになるほどでした。それを見て主イエスは、あの一羽さ
え、神の許しがなければ地に落ちることはない、また地に落ちた1羽さえ神はお忘れになることはないと仰せられたのです。
先週、仙台地方の教会におられる牧師先生からお電話を頂きました。いろいろお話をしている中で、今も仮設住宅に住んでおられる方がたくさんいる事を聞き
ました。そして、地域の教会や教会員の方々は協力をして仮設住宅へ定期訪問を行っているそうです。私は東京にいてお役にたてる事が少ないと思いますがお祈
りしています。と言うと、先生がこう言いました。ありがとうございます。彼らの事を忘れないでください。
私たちは忘れられる寂しさ、悲しさがあります。しかし、人間に捕らえられ市場で売られる一羽の雀さえにも神様の深いご配慮があり、一羽の雀が生きること
にも、死ぬことにも神様は心をかけてくださっているのです。「だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはりかにまさっている」(31)。
神様からご覧になったら私たちは小さいどころではありません。塵のような存在です。また、傲慢で、救いようのない愚か者です。まさに「罪人」です。そん
な私たちのためにイエス様が十字架で命を捨ててくださった。それほどまでに私を愛し、赦し、あなたの事はわたしが一番知っている。わたしは「あなたがたの
髪の毛までも一本残らず数えている。」その私が絶対にあなたを「忘れない」と言ってくださっている。