主イエスが十字架の上から語られた「第三」の御言葉「イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子で
す。」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」(26−
27)
主イエスには何人かの弟や妹がいたことが聖書に記されています。(マタイ13:55−56)。しかし、主イエスは母マリアを弟や妹ではなく、弟子のヨハ
ネに託したのです。一体何がおきたのでしょうか。ここに主イエスによって新しい家族が誕生しました。それは血のつながりではない愛のつながりによる家族で
す。それぞれの家族も、また、教会の家族も愛によってつながるのです。もし、私たちが主イエスの愛から目を離したら、家族は“ばらばら”になり家族として
の機能を失ってしまいます。
主イエスが十字架上から語られた「第四」の御言葉「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」このとき主イエスは神から呪われ、裁か
れ、そして見捨てられたのです。裁きが現実に起こったのです。その裁きには何の意味があるのでしょうか。それは十字架の第一言「父よ、彼らをお赦し下さ
い。」その祈りがここに成立したのです。
それは、私たちの罪に対する刑罰が終わった。罪に対する裁きが終わった。私たちはもう罪から解放されて自由になったという宣言です。主イエスの「父よ、
彼らをお赦しください」は、彼らに罪の刑罰を与えないでください。彼らを裁かないでくださいとの切なる祈り。では、その刑罰、裁きはどこに行ったのか。自
然に消えてなくなったのか。そうではありません。それは主イエスがその刑罰を自ら受けてくださった。主イエスの言葉は、ここにいる一人ひとりに与える刑罰
を、わたしに負わせて下さい。わたしを裁いてください。その祈りが「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」です。ここに刑罰が執行され
た。それによって私は赦されたのです