【主日礼拝メッセージ 】                                                             2016年3月13日 

『成し遂げられた十字架』
     

ヨハネによる福音書19章28−30節

山岸 明牧師

   主イエスが十字架の上から語られた7つの言葉、その第五「渇く」、第六「成し遂げられた」(ヨハネ19:28)。人間の肉体の痛み、苦しみの極みは渇きだ と言われます。主イエスのお体も狂言状態の中で最高に渇きを覚えられていたはずです。しかし、今なぜこの時に「渇く」と仰せられたのでしょうか。聖書にそ の意味が記されています。

 初めに「すべてのことが成し遂げられたのを知り」とあります。一体、何が「成し遂げられたのでしょうか」それは十字架の救いです。主イエスはこの救いが 完了したことを知って「渇く」と仰せられた。それはマラソンランナーがゴールをしたとき、走り切った喜びとともに「渇き」を覚えるのと同じで、救いの業が 今、完了した。成し遂げられた。十字架で私たちの苦しみや痛み(渇く)のをすべて担ってくださった。

 では、主イエスのお心はどうだったでしょうか。それはイザヤ53:11で「彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人 が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った」とあります。主イエスのお心は喜びで満たされていたでしょう。それは多くの人を救う事が出来る。あなた の罪を赦す事が出来る。あなたの傷を癒す事が出来る。あなたに新しい人生を与えることが出来る。あなたに希望を与えることが出来る。あなたに永遠の命を与 えることが出来る。その救いが完成したから、わたしは満足する。

 更に「こうして聖書が実現した」と続けられた。昔から予言された救いがここに現された。旧約に書かれている救い主が来られ、「多くの人の過ちを担い、背 いた者のために執り成しをしたのはこの人であった」(イザヤ53:12)。の約束の通り、神の御心が、神のご計画が達成された。これは人間が考え出した思 想、哲学、宗教ではない。天地を造られた神が定められた救いの計画です。その計画が今、御子イエスの十字架によって完璧に成し遂げられたのです。