主イエスは金曜日
に十字架につけられ墓に葬られました。この死によってすべてが終ったと誰もが思った。しかし、日曜日の朝、主イエスは復活されました。キリスト教会が日曜
日に礼拝を持つのは、この復活から始まっているのです。主イエスの復活は、私たちの人生において、どんな意味を持つのか。これは科学の問題でもなく、医学
的な問題でもなく、常識の問題でもありません。これは信仰の問題です。主イエスが復活して今も生きておられる。それを信じるか、信じないかという信仰の問
題です。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」これがすべての結論です。
主イエスが復活されたとき、弟子たちは何をしていたのかはっきりと聖書に記されています。「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をか
けていた」(20:19)。弟子たちは恐れと絶望から息をひそめて隠れていたのです。そこへ主イエスが来て真ん中に立ち「あなたがたに平和があるように」
と言われた。弟子たちは主イエスを見て喜んだ。しかし、そのときにトマスはいなかった。主の復活を聞かされたトマスですが、頑なに信じようとはしません。
八日の後、トマスのもとに主イエスが来られ、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばして、わたしのわき腹にいれなさ
い。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて「わたしの主、わたしの神よ」と告白した。
しかし、復活がどんなに素晴らしい事であっても、自分と関係のない出来事とするならば、私たちには何の力にも、喜びにもなりません。しかし、復活された
主イエスを信じるなら新しい自分となって生まれ変わる事ができます。何故ならば「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生き
る」(25)とある。私の人生の答えは聖書が持っています。復活の主イエスと共に歩む者は、人生で色々な問題が起きても、必ず解決の道を、忍耐する力を、
それを乗り切る力を与えてくれます。そして、私たちは人生の中で死を打ち破って、世に勝利された主イエスの愛を体験するのです。神様が与えてくださる新し
い命をぜひ受け取ってください。