【主日礼拝・福音メッセージ】
2004年4月25日                   
互いに平和に過ごせ
マルコによる福音書9章38-50節
メッセージ 高橋淑郎牧師

 イエスは、「あなたの人生を、火をもって訓練し、清め、塩味のきいたものに造り替えてあげよう。」と言われます。香川県にいるわたしの友人は郊外に山を買い、そこに登り窯を作り、陶芸に打ち込んでいます。ただの土くれもひとたび陶芸師の手で窯に入れられ、高い温度の火で焼かれると、立派な陶器に生まれ変わります。また昨年死去された今野高子姉のお連れ合いは刀鍛冶でした。鉄は火を通すことによって強い鋼に生まれ変わります。地獄に用意されている火は罪びとを焼き尽くす力があります。しかし、この世にあってはキリスト者を蝕む不信仰、不純物、偽善という罪を吹き分ける力があります。この火は神から来る試練、また訓練のことを指しているのです。

 食材に塩を加えて火を通すと、まろやかな味を出してくれます。また塩は腐蝕から守る清めの力があります。では、イエスの言う塩とは何を意味しているのでしょうか。それは愛です。神はわたしたちに、アガペーの愛、「神の愛」という賜物を用意して下さっています。この愛という塩味をいっそう麗しいものにする為には試練や訓練という火が必要です。イエスはご自身、十字架という試練の火を潜り抜けて、アガペーという塩味をわたしたち罪びとに示して下さいました。わたしたちもまた世の人に同じ塩味を提供する為には試練の火を通されなければならないのです。わたしたちはこの世にあって、さまざまな試練を経験しますが、そのとき自分だけが不幸だという被害者意識に心乱されてはなりません。イエスは、「わたしの後に従いたい者は、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言われました。

 「互いに平和に過ごしなさい」、これが今朝わたしたちに与えられた主イエス・キリストからのメッセージです。わたしたちの生活が未信者の躓きとならないだけでなく、イエスに倣うわたしたちの生活を見て、人々が神を崇める者となりますように。わたしたちの内に備えられている神の愛という塩によって豊かな味わいを提供するキリスト者となってください。

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