【主日礼拝】
福音メッセージ
2004年5月30日                 
喜べ、お呼びだ
マルコによる福音書10章46-52節
メッセージ 高橋淑郎牧師

ここにバルティマイと呼ばれている視覚障害者がいます。道端に座って物乞いをすることで、その日暮しをしていました。見たところまことに気の毒な身の上です。しかし、何も持っていないどん底の暮らしの彼ですが、ひとつだけ決して手放していないものがありました。神への信仰です。「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。」と主イエスを呼び求めました。「ダビデの子」という呼びかけはイエスを約束された救い主と信じていた証です。聖書はダビデの子孫から真の王の王であるキリスト、救い主がお生まれになると預言していますが、果たしてダビデの末裔であるヨセフの許婚マリアを通してイエスがお生まれになりました。この方こそ救い主キリストです。バルティマイの肉眼はふさがれていましたが、霊の目は誰よりもイエス・キリストをはっきりと認めることができました。だから、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と呼び求めることができました。

 その声を聞いたイエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい。」とお命じになりました。人々は、彼に、「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」と言いながら、道を開いてくれました。

 「何をしてほしいのか」と言うイエスの問いかけに、彼は率直に願い出ます。「見えるようになることです。」と。すると、主イエスは、「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」と祝福してくださいました。目、開かれた彼は、その後どうしたでしょうか。イエス・キリストに従う人生を選び取ったのです。

 主は今日もわたしたち一人一人の祈りにじっと耳を傾けて、御そばに呼び寄せて、「何をしてほしいのか」と語りかけてくださいます。あなたの人生にとって大切なことは、これまでの生活がどのようなものであったにせよ、イエス・キリストの救いに与ったこれからの人生はもっと大切な意味を持ちます。あなたもバルティマイと共にこの後、主の弟子に加えられ、主に従う者となることが何よりも大切です。

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