【主日礼拝】
福音メッセージ
2005年4月3日
復活を信じない人々 
マルコによる福音書16章9-13節
 メッセージ:高橋淑郎牧師
 
マルコは、イエスがただ旧約聖書の筋書き通りに淡々と死んで甦られた。弟子たちもまた素直にそのことを受け入れた、などときれいごとでこの福音書を閉じたくなかったのです。この物語は、一度「死」という恐るべき現実の前にわたしたちを引っ張って行こうとしています。愛する者が死んでしまった。この先何を見よというのか、どこへ行けというのか、そういう叫びのようなものが弟子たちの心をかき回し、そして揺さぶります。不信仰という高くて硬い壁を打ち破れないでもがき苦しむ弟子たちの生々しい姿を、「信じなかった」という言葉を繰り返して書き記しながら、わたしたちの脳裡に焼き付けるのです。

 この福音書は、愛する者の死を前に立ち尽くし、無力感にさいなまれているわたしたち、その悲しみの中で不信仰に陥り、頑なになってしまった全ての心をもっと大きな力でゆすぶる神の祝福の物語なのです。

 主イエスはそんな彼らの、そしてわたしたちの不信仰と頑なな心をおとがめになります。私たちの不信仰はイエスによって責められるべきもの、お叱りを受けるべきものなのです。甘えるわけにはいかないのです。「あなたの不信仰は無理もないことだ。よく分かるよ」などとは決して仰らないのです。しかし、またわたしたちの心が頑なだから、不信仰だからここから出て行けとも言われません。不信仰で心頑なな弟子たちに、復活のからだ、栄光の姿となられたご自身を示し、「全世界に行って、すべての造られたものに、福音を宣べ伝えよ」と送り出して下さるのです。

 マルコの福音書の価値はここにあります。弟子たちの不信仰を遠慮なく書きました。てらわず、飾らず、ごまかさないで、ありのままに書き記し、そして著者もまた自分をそこに重ね合わせ、多くの復活の証人と共にこの福音を告げ知らせてくれたのです。もはや死は最後の勝利者ではないのです。信じましょう。感謝しましょう。そして祈りましょう。

本文は長いのでパソコンでお読み下さい

戻る