【主日礼拝】
福音メッセージ
2005年7月17日
悪から離れて祝福へ」
使徒行伝3章17-26節
メッセージ:高橋淑郎牧師

 わたしたちは時々これまでの歩みを振り返って、あの時、あの出来事がなかったらもっとましな人生を送ることができたのに、と考えることがあります。また、これからの人生のためにも消しゴムのようなものがあったら、どんなに便利が良いかと考える人は少なくないと思います。もちろん、そんな都合の良い消しゴムはこの世のどこにもありません。

 しかし、神の御前に出るために、人生の汚点を完全に消し去っていただくことはできます。イエスが十字架の上で流された血潮です。これまで犯してきた罪の数々を神に対して告白し、救い主イエス・キリストのみ前に立ち帰るなら、これまでの罪も汚れも偽善も悪い習慣も、一切の罪が消し去られ、赦されるのです。事実、イエス・キリストは、十字架の上でわたしたちの為に執り成しの祈りをささげて下さいました。そこのところの聖書を読みましょう。

 「そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです。』」(ルカ23:34)。

ペトロはこの祈りの言葉を覚えていましたから、「だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち返りなさい。」(19節)と人々を神のみ前に招きます。悔い改めて神に立ち帰るなら、神はどんな罪でも消し去ってくださるのです。

 わたしたちが自分の手でどんなに努力しても消すことのできない罪を、天の父なる神はその独り子イエスを通して、十字架の血潮によって消し去ってくださいます。ただ消し去るだけでなく、全く清めて神と共に生きる命を与えてくださいます。わたしたちがなすべきことは、「悪から離れて祝福に与る」ために、ただ、イエス・キリストがわたしの罪のために十字架に死んでくださったこと、甦ってわたしの救い主となってくださったことを認めて、この神に立ち返り、罪の悔い改めと、信仰を言い表すだけで良いのです。今、この方に立ち帰りましょう。

本文は長いのでパソコンでお読み下さい

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