【主日礼拝メッセ−ジ】                   
「み言葉を妨げるな」
使徒言行録 6章1−7節
メッセージ 高橋淑郎牧師

今日は生まれたばかりの教会に起こった難しい問題について、神が使徒たちを通して見事に解決してくださったばかりか、これをきっかけに教会を一層成長させてくださったというお話です。

問題の発端は、「日々の分配のこと」で公平を欠く、という苦情が寄せられたことに始まります。エルサレムの都に教会が生まれたばかりのころ、信者はそれぞれ自発的に献金や献品をしましたので、「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった」のです。それなのに、6:1ではこの有様です。ギリシャ語を話すユダヤ人の教会員からヘブル語を話すユダヤ人の教会員に対して、自分たちの仲間であるやもめが日々の分配で不公平な扱いを受けているというのです。外国出身のユダヤ人の中には既に2世、3世の人がヘブル語ではなく、日常会話はギリシャ語を使っていたので、いつとはなく生粋のユダヤ人との間に心の壁のようなものができてしまったのでしょう。その上女性の地位が低い時代でした。特に、夫に先立たれた人は経済的にも貧しく、献金も思うようにできなかったでしょう、だから教会生活も遠慮がちになります。

使徒たちは祈りました。聖霊なる神は見事な解決へと導いてくださいました。7人の執事の選出です。使徒たちや牧師はどうしても日常の具体的な問題にかかわる時間的余裕がありません。また一般の教会員も悪気はなくても、視野が狭く、自分を中心とした発言や行動になってしまいます。 それを補うのが執事です。執事とは、新約聖書の言語によると、「分配する者」という意味です。教会に出入りする人、特に弱い立場の教会員が、誰ひとり「日々の分配のことで、軽んじられることのないように」配慮する人です。「日々の分配」とは物や金銭に限りません。何よりも「心を配る人」です。礼拝を終えて、寂しい気持ちで会堂から出て行く人が一人もないように目も心も配る、それが執事の役割です。

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