待降節第4週・主日礼拝メッセ−ジ要約】                         
2005年12月18日
御前に静まれ
ゼカリヤ書 2章14−17節
マタイによる福音書1章18-25節
メッセージ 高橋淑郎牧師 

 「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」と神は言われます。このメッセージを受けるまでのヨセフがマリアに対してできる正しさの実証は、「ひそかに離縁する」ことでしたが、神が人に対する正しさは二人を引き離すのではなく、聖霊によって彼らを聖く結びつけ、祝福することでした。マリアの内に救い主を賜った聖霊は、「あなたのただ中に住まう」と重ねて預言されているように(旧約聖書 ゼカリヤ書2章14,15節)、ヨセフとマリアのただ中に宿って下さる方です。救い主がこの罪深い世界に来てくださる。この神に帰依し、この方を受け入れる者が神の民と見なされることによって、その人は聖霊を宿す神の宮とされます。そして、「すべて肉なる者よ、主のみ前に黙せ。主はその聖なる住まいから立ち上がられる」とゼカリヤは預言します。主は今立ち上がり、人の子としてこの世界に降誕なさるのです。「その子をイエスと名付けなさい。・・・その名はインマヌエル(=神は我々と共におられる)」と呼ばれる者として。 

救い主の到来はマリアとヨセフにとって困惑であり、苦悩でした。信仰者だから受ける試練です。しかし神は神に従う人を清めて、ご自身のものとして聖別するために、時にこのように人間の理解を超えた訓練をお与えになるのです。「その名をインマヌエルと呼ばれる方」の支えと助けなしに、この訓練を耐え忍ぶことは不可能です。

クリスマスアドヴェント第4週に入った今日、わたしたちはどのような心で救い主を待ち望むべきでしょうか。ただインマヌエルの主のみ前に静まることです。自分を主として歩んできたわたし達が、神こそ主であり、王であることを告白することです。静まるとはそういう意味です。