ステファノは、「T霊Uと知恵に満ちた評判の良い人」でした。信仰に恵まれ、聖書に精通し、必要に応じて自由にみ言葉を引用しては、その意味を解き明かすことのできる人でした。また聖霊による力に満ちていましたから、御霊なるキリストこそ、真に全能の神であるというしるしを伴う不思議な業を行っていました。具体的には、やもめたちのために、日々の配給を漏れなく配給する奉仕の傍ら、病床を訪ねては人々の悩みに耳を傾け、祈ったことでしょう。そうした働きの一つ一つが恵みに満ちていました。「恵み」というギリシャ語は、また「魅力」という意味を持っています。ステファノは愛すべき人柄、霊的魅力に溢れていたのです。
しかし、こうした中でステファノを快く思わない人たちは、彼に論争を挑みました。しかし、聖霊によって語るステファノの知恵には勝てません。そこで彼らは力ずくでステファノを捕えて最高法院に訴え出ました。訴状の主旨は二つです。「神殿侮辱」と「律法を無視して神を冒_している」という罪です。もちろんこのような訴えそのものが欺瞞に満ちたものであることは明らかでしたから、法廷に引き出されてもステファノの心は乱されることはありませんし、その態度も一貫していて、さながら「天使の顔のよう」でした。天使のような顔とはどのような顔でしょうか。それは、「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。」(マタイ18:10)と主イエスが言われたとおりです。