イースター主日礼拝メッセ−ジ】                         

2006年4月2日   
「散らされても」
使徒言行録 8章1節b−13節
高橋淑郎牧師

ユダヤ人キリスト者たちはステファノの遺体を引き取って涙ながらに葬りましたが、ステファノの殉教と葬儀を引き金に、ユダヤ教徒のキリスト教会に対する迫害は一層残酷なものとなりました。エルサレム教会のキリスト者たちは激しい迫害の為に住み慣れた家を捨て、町を離れ、職業を失うことになりました。明日からどうして食べていけばよいのかと不安なはずです。しかし彼らが落ち延びた土地で最初にしたことは、生活の基盤を立て直すことよりも、「福音を告げ知らせながら巡り歩いた」というのです。

キリストの教会はペトロやヨハネやパウロなど有名な使徒たちの祈りと働きによって誕生し、成長していったように思いがちですが、実際にはこうした多くの無名の信徒たちが住む家を失い、職業を奪われ、或いはホームレスのような寄留の生活を余儀なくされながら、行く先々で福音を告げ知らせた、一途で純粋な信仰に負うところ大です。

教会はまた内なる敵である誘惑とよく戦いました。フィリポが散らされ(実は遣わされ)て行った先はサマリヤ地方でした。彼は力強く、大胆にイエス・キリストの福音を宣べ伝え、主の御業に忠実であったため、町の人々は彼の話に聞き入っていました。その中に魔術で人の目をくらましていたシモンという人もフィリポの目覚しい活動とメッセージにすっかり感動してイエスを信じてバプテスマを受けました。

愛する兄弟姉妹。あなたも行く手を遮るさまざまな妨害に悩むことでしょう。また心揺さぶる誘惑を感じることがあるでしょう。しかし、イエス・キリストを信じる信仰は必ずあなたを勝利に導きます。心乱さず、神に委ねることを忘れないでください。