【主日礼拝メッセ−ジ】                          
2006年11月05日
御心によって
ヨハネの黙示録4章9−11節
高橋淑郎牧師 

6−7節に書かれている、「前にも後ろにも一面に目のある四つの生き物とは、四福音書のこと」と解説してくれた人がいます。わたしもその教えを信じるひとりです。四福音書の著者は、それぞれに四つの生き物にイメージしてキリストを証言しています。マタイによる福音書は百獣の王である「獅子」のように、「王なるキリスト」を証言し、マルコによる福音書は、正反対に神の御子であるにもかかわらず、黙々と田圃(たんぼ)を耕す「若い雄牛」のように奉仕する「僕としてのキリスト」を証言し、ルカによる福音書は、弱さの中にある者、虐げられている者、貧しい者に寄り添って、心から同情して共に涙し、救いの手を伸べる真の隣人(となりびと)としての「贖(あがな)い主キリスト」を証言し、ヨハネは空中高く飛び、四方を見渡す優れた目を持って地上の獲物を窺う「鷲」のように、神の目線で地上にあって神を慕い求める人々、神に逆らい続ける人々の全てをみておられる「神なるキリスト」を証言しているのです。

このように、時代を超えて全世界に目を注ぎつつ、この四つの生き物、即ち四福音書著者たちの讃美が聞こえてきます。

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」と。

24人の長老はこの讃美の声を聴きましたので、受けた冠を頭から外して御前に投げ出したのです。このように、先に召された信仰の先達でさえ天上にあって、神のみ前に己を空しくしています。

わたしたちも主の日ごとに礼拝において、四福音書が証する聖き神を讃美する聖歌隊によるメッセージを聴きましたからには、この地上で何某(なにがし)か受けている栄誉の冠を御前に投げ出し、跪(ひざまず)き、全てはただ主の御心によってなるものと感謝し、讃美しましょう。