キリスト教・イロハ

       
 

 

 

小舟から福音を語るイエス・キリスト 

(Good New Bibleより)

 

 

キリスト教について初めてのあなたのために

キリスト教についてもう少しくわしく、


初めてのあなたのために

1.礼 拝

1週の初め(日曜日)に教会に集まり、讃美歌を歌い、聖書を読み、メッセ−ジを聞いて神に「礼拝」をささげます。それによって人生の目標と正しい知恵が与えられます。

礼拝の中で神への感謝の献金をします。寄付やお布施ではありません。意味が分かったらご用意下さい。

2.聖書の学び

日曜日の朝教会学校を通して大人も子どもも聖書を楽しく学びます。それによって人生の意味と試練に耐える力が与えられます。

水曜日と木曜日の祈祷会」(お祈り会)を通して聖書をじっくり学びます。それによって神に近づく道(お祈り)と必要を学びます。

3.三大祭り

クリスマス(キリスト降誕日);冬のお祭りで、神の子イエス・キリストがユ ダヤのベツレヘムで、乙女マリアを通してお生まれになられたことを記念し、お祝いします。

イースター(キリスト復活記念日);春のお祭りで、今から2千年前にイエス ・キリストが、私たちの罪の身代わりに十字架に死んで3日目に復活されたこ とを記念し、お祝いします。

ペンテコステ(聖霊降臨記念日;夏のお祭りで、聖霊が地上にお降(くだ)りになって、キリスト教会を誕生させて下さったことを記念し、お祝いします。

4.その他

母の日礼拝、花の日(子どもの日)礼拝、幼児祝福礼拝、長寿感謝礼拝、キャンプなど楽しい行事が沢山用意されています。

 キリスト教・ニホヘ

1. はじめに

2. 牧会とは

3. 日曜日に礼拝をささげる理由 

4. クリスチャンとは?   

1. はじめに

 今日も仙川キリスト教会ホームページへようこそ、特に「キリスト教イロハ」のコーナーを開いて下さった方、そして現に今この教会の礼拝に初めてこられたあなたの為に、もう少しくわしくクリスチャンは何を信じているのか、教会では何を教えているのか、そのことと一般社会で生きるということとどのような関係があるのか。そういうことをこれからご一緒に考えてみたいと思います。

 わからないことはどしどし牧師宛にEメールでも〒でも?でもご遠慮なくご質問下さい。勿論人生問題(結婚したい、離婚したい、生きる力がほしい、死んでしまいたい。子育てのこんなことに悩んでいる。子育てを放棄したい。金儲けが下手で。金銭上のトラブルに悩んでいる。嫁と上手につきあいたい。姑・舅と上手につき合いたい。死んだらどうなるのか等々)も一人で悩まないで教会を頼って下さい。牧師と共に考えて行きましょう。牧師には守秘義務と公的機関に対しても「牧会権」(1975年2月20日神戸簡裁判例)が保障されていますからご安心下さい。

 

2. 牧会とは

ここで「牧会」とは何かについて少しお話して、次号から本題に入ります。

 キリスト教会で牧会とは信徒を聖書に基いて教え、魂を養い、神と人を愛する者、神と人に奉仕する心へと導きます。また教会を訪ねる全ての人の心に神の聖い愛(アガペ)が宿るよう、その問題や悩みに耳を傾け、カウンセリングをします。このような働きをする者として立てられているのが牧師です。

 

3. 日曜日に礼拝をささげる理由 

 先ずクリスチャンはどうして日曜日を大切にして、この日に教会堂に集って礼拝をささげるのかということについてお話しましょう。

聖書に「安息日を心に留め、これを聖別せよ」という戒めがあります。ユダヤの人たちは神が6日間で天と地とその中に住む全ての生き物を造り、7日目に休まれたことを心から信じています。その神が人間にも7日目(土曜日、正確には金曜日の日没から)を安息日として守るよう命令されたので、今も土曜日に礼拝をささげています。しかし同じ旧約聖書を読むキリスト教が土曜日でなく日曜日に礼拝をささげるようになったのはどうしたことでしょう。(※) 

 それはイエス・キリストと深い関わりがあります。クリスチャンは神が人間の姿(イエス・キリスト)でこの世に降り、全世界の罪の身代わりに神のさばきとしての十字架に死んで三日目に復活されたことを信じています。新約聖書はそのことの証言葉だからです。復活された日が日曜日なので、そしてこの日罪人(つみびと)は救われて永遠の生命(天国で生きる命)を受けることができたので、この日こそ神の創造の本当の意味での完成の日であると信じます。だからこの日(日曜日)を主の日として記念の礼拝をささげるのです。

 あなたも「寝てよう日」と聞こえそうな日曜日にはこのような意味があったのだということを心に留めて、来週から近くのキリスト教会で礼拝をささげて下さい。

(※) キリスト教の中にも土曜日に礼拝をささげる「セブンスデーアドヴェンティスト」というグループの教会もあります。

 

4. クリスチャンとは? 

 今日はクリスチャンとは何かと言うことをお話ししましょう。紀元1世紀の初め頃、キリストの弟子達は次第に数を増し、ついにシリアのアンテオケという町にも教会が生まれました。町の人たちは教会に出入りする人々を見て、誰言うとなく「クリスチャン」(「キリスト屋」という程度の意味 )と呼ぶようになりました。教会の人々が口を開くと「キリスト」、「キリスト」とイエス・キリストのことばかりを朝から夜まで語り合ったり、町の人々に伝えて回るものですから、人々はキリストの弟子達を軽いジョークめいた気持ちで(揶揄も含まれていたかも知れませんが)、ニックネームを付けて呼んだのが始まりです。もし興味があったら、そのいきさつが記されている新約聖書の使徒行伝第11章26節を読んでみて下さい。

 日本語の代表的な新約聖書の書名としては、口語訳は「使徒行伝」、新共同訳は「使徒言行録」、新改訳ですと「使徒の働き」と異なっていて、初めて聖書を読む人には紛らわしいことでしょうが、どれも聖書に変わりはありませんので、まだ教会に行ったことのない方はこの機会に近くの教会を覗き(のぞき)、その教会が読んでいる聖書をお選びになるのが良ろしいかと思います。因みに私たちの教会は現在新共同訳聖書を読んでいますので、以後は新共同訳聖書の書名を基準にして聖書の引用をさせていただきますが、分かりにくいところがあったら、いつでも私宛ご質問下さい。

 話が横道にそれましたが、クリスチャンとはそのように教会外部の人々からつけられたあだ名に由来しています。教会はむしろこのあだ名を名誉なこととして有り難く頂戴して今日に至っています。「クリスチャン」とはその名の通り、イエス・キリストを救主と信じ、イエス・キリストの弟子であることを世の人々に語り伝えている者達のことです。人間という生き物は賢いようで愚かな者です。自分さえしっかりしていればこの世を正しく、誰にも迷惑を掛けずに生きて行けるとかたい信念をもって生活しているつもりですが、昨日までの自分を振り返ってみると、必ずしもそうではありませんでした。明日の自分を考えても正直言って自信を持てません。何かを土台にして生きて行かなければ、何をしでかすか分かりません。クリスチャンも同じです。イエス・キリストを頼りにしているから、どうにかこうにか間違った生き方から守られているのです。

                                       (つづく)


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     個人的に(メールの返信として)、あるいはこのページでお答えして行きます。