【主日礼拝 】 2014年9月7日
主イエスが町や村を巡り歩いて伝道をされているとき、多くの迷える魂、飢え渇く魂、悩む魂、病める魂に出会われた。主イエスはそれらの人々をご覧になって「飼い主のいない羊のようだ」と深く憐れみ、心を痛められました。そして、弟子たちに「収穫は多いが、働き手が少ない」だから、「収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」(37-38)と仰せられました。
今の私たちは、ありとあらゆるものに囲まれ、何不自由なく過ごせる便利な時代で、これが幸せと思って生きていますが、現実は恐ろしい事件や、悲しむ事件が毎日起きています。私たちはこの世をみて、心痛め、なんで、どうしてと嘆き、ため息をつくばかりになっていないでしょうか。主イエスは、人々が人生の目的を失い、自分中心に生き、右往左往しているのをご覧になり、そこに愛すべき魂があると言って、それを「収穫」と言ってくださり、私たちに伝道の大切さと希望を与えてくださっておられます。
収穫には多くの働き手が必要です。主イエスは働き手を送ってくださるように祈れと教えられました。しかし、その祈りは働き手を送ってくださいとただ祈るだけでなく、私自身を働き人として用いてくださいと願う祈りが必要です。イザヤは「誰を遣わすべきか」という神の声を聞いたとき「わたしがここにいます。わたしを遣わしてください」(8)と言いました。
主イエスが求めておられるのは、私たちの能力や力などではありません.議論も説得も必要ありません。ただ、私たちが見たこと、聞いたこと、体験したことを「証人」として伝えていくことだけです。主イエスは今「あなたが必要だ」と私たちに呼びかけています.今こそ主の招きで応えて、主よ「わたしがここにいます。わたしを遣わしてください」と告白していきましょう。
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