「主よ、あなたはわたしを究め、わたしを知っておられる。座るのも立つのも知り、遠くからわたしの計らいを悟っておられる。歩くのも伏すのも見分け、わた
しの道にことごとく通じておられる。わたしの道にことごとく通じておられる。わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに、主よ、あなたはすべてを知っておられ
る。前からも後ろからも私を囲み、御手を私の上に置いていてくださる。その驚くべき知識はわたしを超え、あまりにも高くて到達できない。どこに行けば、あ
なたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に横たえようとも、見よ、
あなたはそこにもいまし。曙の翼を駆って海の中に行き着こうとも、あなたはそこにもいまし、御手をもってわたしを導き、右の御手をもってわたしをとらえて
くださる。」詩編139:1−10
私が教えられた神は恐ろしい神、私が知っていた神は、悪いことをしたり、言うことを聞かなければ「ばち」を与える神でした。親からそう教えられてきまし
た。私にとってはある意味、敵のような存在でした。でも、真実の神を知ったとき、実は神は私の敵ではなく味方でありことが分かりました。
何があろうとも神は私の味方であることを覚えましょう。
パウロは「これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」(ローマ
8:31)と告白した。ダビデも「主はわたしの味方、わたしは誰を恐れよう。人間がわたしに何をなしえよう」(詩編118:6)と告白した。
神が私の味方であることを知れば、どんな苦難や失敗があろうとも、それを乗り越えることができると教えています。また、失うものがあっても、人が敵である
かのように感じたとしても、神が味方であるならば、私たちはいつでも神に頼ることができるのです。そして、あなたの家族、仕事、すべてを祝福したいと願っ
ています。その神の愛を信じて人生を歩みましょう。