みんなが平和を望んでいるのに争い事が起きてしまう。何故なのか、その答えは聖書(神の言葉)に記されています。神はお造りになったすべてのものをご覧に
なって言った。「見よ、それは極めて良かった」(創世記1:31)。それから神と人、人と人、人と自然、すべての調和がとれ平和であった。
神はエデンの園に人を置き「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、園の中央にある善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。触れてもならな
い。食べると必ず死んでしまう」(2:17)と言われた。人はそれを守っていたが、誘惑するものが来て言った。あれを食べても死ぬことはない。逆に目が開
け、神のように善悪を知るものとなる。つまり、神のようになれると聞いて、神の命令を破った。そこから人に罪が入り、神との関係が崩れた。
神との関係が崩れたとき、人は神から離れ、人類最初の殺人を犯してしまった。それはカインとアベルの兄弟であった。日本の殺人事件の54%は家族間の中で
起きています。そして今に至るまで人は自己中心に生き続け争いを起こしている。人は今こそ神の前に悔い改め、神に立ち帰り、平和を願い求めよう。そうすれ
ば「主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上
げず、もはや戦うことを学ばない」(ミカ4:3)
平和は神から来る。イザヤは言った「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その
名は、『驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君』と唱えられる」(9:5)。神は御子イエス・キリストをこの世に遣わし、十字架につけ、私たちの
罪を赦し、神と和解できる道を備えてくださいました。「実にキリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という
隔ての壁を取り壊し敵意という壁を取り壊した。」(エフェソ2;14−16)。とあります。平和の君である主イエスを信じ受け入れ神と和解し、そしてこれ
からも平和を願おう。