【主日礼拝メッセージ 】                                                                       2017年03月12日 

   『心を見てくださる神様です』  

サムエル記上16章1-13節

石井規之牧師(多摩みぎわ伝道所)


 あなたが社長さんだったら、どのような人を採用しますか。営業センスのある人、事務能力のある人、さわやかで協調性のある人を選ぶでしょうか。校長先生 だったらどんな生徒を望むでしょう。明るくて文武両道に長けた人でしょうか。イスラエルの人たちは、そのような基準で最初の王様、サウルを選びましたが、 サウルは王様にふさわしい人ではありませんでした。

 次の王様を探してサムエルはエッサイの所に行きました。最初に目に入ったのがエリアブ。背が高く、堂々としていたからです。しかし、神さまは、「人は目 に映ることを見るが、主は心によって見る」とおっしゃって彼を退けました。そして、神さまは、誰も想像していなかった末っ子のダビデを選ばれたのでした。   

 しかし、ダビデのその後を見るとどうでしょう。ある時には命を狙う追っ手を恐れて敵にかくまってもらい、ばれそうになると精神のバランスが崩れてしまっ たふりをしてその場をしのぎます。ある時には、部下の奥さんに目を奪われて道ならぬことになってしまいます。さらにある時には、自分の軍隊はどのくらい強 いのだろう、どのくらいの税金を集められるのだろうと人数を数えたりします。その時神さまはがっかりして、「いや、とんでもない間違いを犯してしまった。 ダビデは信頼できると思ったけれど、それは間違いだった」とおっしゃったでしょうか。ダビデがそのような失敗をしてしまうかもしれないことは、初めから神 様にはお見通しだったのです。

 それでは、神さまの「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」とは、どのような意味だったのでしょうか。神さまは、ダビデのどこにほれ込んだの でしょうか。このことを知ることは、神様が私たちの心を見て下さる時に何を見て下さるのかを知ることになります。神さまが、私たちに何を期待しているのか を知ることができます。自分の信仰は弱いし、毎日罪を犯し続けてしまうし…、自分は本当に神さまに受け入れられているのだろうかと不安になっている人がい るかもしれません。もし、そのような方がいらしたら、今日のメッセージはあなたの不安を取り除くことになるでしょう。