アドベント第3週 【主
日礼拝メッセージ
】
2017年12月17日
昔、ヤコブという人がいた。彼は自己中心で、とてもずるがしこく、病の中にある父親を騙だまし、兄が相続する事になっていた祝福を奪い取ってしまった。それを知った兄は怒りに燃え必ず弟を殺すと誓った。それを知ったヤコブは逃亡した。
彼は逃亡中に夢を見た。それは「先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた」(創世記
28:12)。天と地の間に階段があった。それは下から上?上から下?本来、階段は下から(地上)から上に(天)に積み上げていくものです。
でも、その夢では階段は上から(天から)下へ(地上)に向かって伸びていた。すると主がヤコブに仰せられた「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたが
どこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束した事を果たすまで決して見捨てない」(創世記28:15)。ヤ
コブは家族を騙して祝福を奪い取ってしまった悪い人間です。どうしてこのような罪人が神に出会い、このような祝福の言葉を頂けるでしょうか。
神との出会いは、私たちが立派になったから、相応しい者になったから、努力したからといってお会いできる方ではありません。それは神の一方的な恵みによ
るのです。クリスマス、それは救い主イエスがこの世に来てくださった。上(天)から下(地)に降りてきてくださった。「キリストは神の身分でありながら、
神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じものになりました。人間の姿で現れ、へりくだって、
死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フリピ2:6−8)。
この方こそイザヤが預言した救い主イエスのことである。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。この名は、神は我々と共に
おられる」と言う意味。神が私たちを一方的に愛し、歩み寄り、罪を赦し、永遠にわたしと共にいてくださる方。クリスマスに感謝。