モーセによってエジプトを脱出したイスラエルの民は荒野を40年さ迷い続けた。その旅も終わりに近づき約束の地カナンの手前まできた。そこで主はモーセ
に言った。「人々を遣わして、わたしがイスラエル人に与えようとしているカナンの土地を偵察させなさい」(13:2)。神が与えようとしている土地を偵察
するために、部族のリーダーたち12人が選ばれ偵察にむかった。
偵察を終え帰って来た彼らの報告によると「そこには乳と蜜が流れている豊かな土地で
ある。しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、我々が見た民は皆、巨人だった。自分がいなごのように小さく見えたし、彼ら
の目にもそう見えたにちがいない。」(13:27-33)。
偵察隊12人の内の10人は、私たちはあの民のところには攻め上れない、あの民は私
たちよりも強いから、しかし、残りの二人カリブとヨシュアは「断然上って行くべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます」(30)。彼らは同じ土地を
見て、同じ問題にぶつかった。だが、ここに未来を見る2つの心の態度がありました。
一つは“いなご”のような自分。いなごの私にとって直面した問題はあまりにも大きく、いなごのような私には無理、出来ない、ダメだ、彼らは最初からあきらめて動こうとしませんでした。結果、彼らは約束の地に入ることはできませんでした。
一方、ヨシュアとカレブの心を支配し貫いていたものは、神の約束を信じる信仰と、そ
れによって与えられる神の力です。ですから積極的に可能性を試してみよう。私たちにはそれが出来る、必ずできる。結果、この約束の地に入れたのは神の約束
を信じたカレブとヨシュアの二人だけでした。
神を信じる者にとって、神を信じない事は偽りです。偽りに生きる時、現実だけが大き
く見え、自分は小さないなごのように見えてくる。そして信仰の歩みが萎縮し、神様から遠ざかり、現実に飲み込まれていってしまう。私たちはどんな時にも、
神の約束の御言葉には力がある事を信じ、そこに望みを置いて生きていこう。「だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」
(ヨハネの手紙一5:5)。ハレルヤ