1なぜ「神の箱」は、大切なものだったか
ダビデは、エルサレムに「神の箱」を運び入れた時、心からの喜びをあらわして、飛び跳ねて踊りました。なぜ、ダビデ王は神の箱が運び入れられた時に踊った
のでしょうか。ダビデの時代「神の箱」は、イスラエルが「神の民」となるという象徴でした。そして「契約の箱のふた(贖いのふた)」は、神の臨在の象徴で
した。「なぜ、ウザは打たれたのか」「ミカルが皮肉を言って夫を軽蔑した理由は」・・・。契約の箱がエルサレムに運び入れられる話は興味深いストーリーで
す。このストーリーを、贖いの契約という福音の光に照らしてみていきます。
2キリストの福音
神様の性質は、無から有を作ることです。神のかたちに似せてつくられた私たちも、クリエイトするように本来デザインされています。しかし、罪のゆえに、作
る側でなく、壊す側、批判や文句を言う側になってしまいました。しかし、イエス・キリストの十字架と復活により、契約が更新されました。私たち日本人も神
の民となることができます。イエスご自身が、「贖いのふた」として、私たちの罪と恥を消してくださったからです。そのキリストが、私たちのただ中におられ
るからです。神様が、勇士として私たちと一緒に戦ってくれるからです。文句を言う側、批判をする側、傍観者として嫌味をいう側でなく、作る側に私たちを変
えてくれる。これかが福音の力です!
3.踊る阿呆に見る阿呆
では、私たちの日常生活において「福音の力」は、どのように働いていますか。「神の箱」は、神ご自身がイスラエルとともにいてくださることの見えるでした。目には見えませんが、生きているまことの神は、21世紀の東京に住む
私たちとも共にいてくださいます。そして、私たち日本人を神の前に踊る「神の民」として招いてくださっています。「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」。あなたは「ゲーム」に参加する側ですか。「ベンチ」で高みの
見物する側ですか。冷淡な見物人から、キリストを喜び、神の前に踊る側へと変えられるためには、キリストが不可欠です。福音の力があって初めて、私達は人
を裁くこと、批判し憎むことから自由になれます。あなたが、職場や家庭や信仰生活において、何か決断すべきことがありますか