私たちは今まで自分中心の視点で物事を見てきました。その結果、見える世界だけに心を捕らわれていました。しかし、神の視点でこの世を見る事ができるな
ら、私たちの心は解放され人生は確実に変えられていきます。「見方が変われば人生は変わる」のです。そのことをパウロは「目からうろこが落ちた」と言っ
た。今まで一つの世界しか見えなかったものが、目からうろこが落ちたら全く違った世界が見えたと告白した。
パウロは大きな病を抱えていたと言われた。彼はそれを「とげ」と言った。彼にとって「とげ」は痛みであり、苦しみであり、悩みであった。そこでパウロは
神にこの「とげ」を取り除いてくだいと3度も祈った。すると神は「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(コリン
ト二12:8-9)と仰せられた。パウロにとってこの御言葉は「目からうろこが落ちた」ものだった。実に「とげ」が「恵み」であった。
パウロは手紙の中で「わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いで
す」と言った。パウロに与えられた「とげ」の目的は思い上がらないようにするためのものであった。パウロは「とげ」がなかったら、主のためにもっと大きな
働きが出来ると思った。だが自分の力で成し遂げたと思い上がり、傲慢になっていただろう。この「とげ」は謙遜に生きるために神が与えて下さった恵みだと確
信した。パウロにとって「とげ」は人生のマイナスでしかなかった。だが神の視点から見たら「とげ」は私の人生にプラスに働くと知った。そこで彼は「わたし
は弱さを誇ろう」と力強く宣言した。
私たちの人生に起こる試練も、私の目から見たら不条理で、神などいるものかと叫ばずにはいられない。しかし神の視点に立った時、「わが子よ、主の訓練を
軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主か愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからであ
る」(ヘブル12:5−6)。と逆転の人生の始まりとなる。問題はあなたの視点をどこに置くのか。私か?この世か?それとも神か?あなたの選択です