ある人は「自信満々」ある人は「自信がない」。あなたは自分に自信を持って生きていますか?自信のある人も、自信を持てない人も、自信の根拠をどこに置くかで生き方が変わります。では聖書に聴きましょう。
モーセはいつものように羊の群れを追って神の山ホレブに来たとき、神の声を聞いた。「わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々
をエジプトから連れ出すのだ」(3:9)。このときイスラエルの民はエジプトで長期間、奴隷のような扱いを受けていた。そのイスラエルの民をエジプトから
脱出させる働きをモーセに託した。
モーセは言った。「私は何者でしょう」(3:11)。私にはそのような能力も力も経験もありません。「だれかほかの人を見つけてお遣わしください」
(4:13)。私たちの自信の根拠を見ると、案外、能力、力、経験に頼っているところはないでしょうか。もちろんそれも大事なことです。しかし、それだけ
が私たちの自信の源であるならば、それはいつか崩れ去ることを聖書は教えている。
自信の持てないモーセに神は仰せられた。「わたしは必ずあなたと共にいる。」(3:12)「あなたが手に持っているものは何か。」(4:2)モーセの手
には「杖」がありました。主は「それを地面に投げよ」と言われた。彼が杖を地面に投げると、それが蛇になった。主はモーセに「手を伸ばして、尾をつかめ」
と言われた。モーセが手を伸ばしてつかむと、それは手の中で杖に戻った」(4:4)。私たちは自信が持てない時、自分の持っている物よりも、持ってない物
に意識がいってしまいます。神は私たちに無い物を要求して業を起こそうとなさる方ではなく、私たちの持っている賜物を用いて生かしてくださるのです。
モーセは更に「わたしはもともと弁が立つ方ではありません」「だれかほかの人を見つけてお遣わしください」(4:13)と言った。そんなモーセに神は怒
りを表したが、神は見捨てることも、諦めることもなく、何と雄弁である兄弟アロンを立てモーセの不足を補ってくださった。神は、共にいてくださるだけでな
く、必要な助けをも与えてくださる。この神こそ、私たちが自信を持って生きるための一番の根拠なのです。