主日礼拝メッセージ                                                                                                                     2020年11月08日 

  死を見つめ、命を知る

山岸 明牧師

詩編23編6節(旧約p169) 
「命のある限り
恵みと慈しみはいつもわたしを追う。

主の家にわたしは帰り
生涯、そこにとどまるであろう。

 愛する人や友人を失ったとき「命」というものを深く考えさせられます。た だ、この社会では死を語ったりすると縁起が悪いからと言われてしまう。しかし、聖書は死について教え、教会でもはっきりと死について語ります。それは、死 を考えることによって、命を考えることになるからです。死のあと人はどこに行くのか、命はどうなてしまうのか。無となり、消えてなくなってしまうのか、死 は私たちに不安と恐怖を与えます。だが死を見つめるとき、実はそこに命の尊さを知る事ができます。

 多くの人が命は尊いものだと言います。なぜ、命は尊いものなのでしょうか?それは神様から与えられたものだかです。命が偶然に湧いて出てきた ものなら尊いなどとは思わない。神が与える命とは寿命のことではありません。命とは喜びであり、感謝であり、私たちを生かすものであります。「イエスは言 われた。わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていて信じる者はだれでも、決して死ぬことはない。」(ヨハネ11: 25−26)

 私たちを生かす命は主イエスの十字架と復活にあります。ですから主イエスの死をしっかりと見つめるとき、永遠の命が分かってきます。そして死 は終わりではなく、天への通過点であることも知ります。さらに、私たちに与えられた永遠の命のすばらしさ、天の御国で愛する者たちとの再会。これらの希望 に生きる者となる。「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」(ヨハネ17: 3)。

 あなたは永遠の命を得ていますか?今日、死ぬとしたら、あなたは天国に行けますか?あなたの心に天国の希望がありますか?パウロは「死よ、お まえの勝利はどこにあるのか、死よ、お前のとげはどこにあるのか。」(コリント㈠15:55)と、死に対して勝利宣言をされた。パウロはなぜこの事が言え たのか。それはイエス・キリストの復活信仰に立ったからです。主イエスは十字架で死なれたが三日目に死を打ち破り復活した。だから、死はお終りではなく、 神とともに永遠の命に生きる。このことを信じる者は幸いな人です。
 
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