アドベント(待降節)第1週礼拝メッセージ                                                                         2021年11月28日 

『わたしはあなと共にいる」

山岸 明牧師

イザヤ書7章12−14節 (旧約p1071)
「それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、
おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。」



  今週からアドヴェベト(待降節)です。アドヴェントとは「到来」を待ち望むとき、それはまさしくクリスマスにおいて到来されたイエス・キリストです。神が 肉体を持ってこの世に来られ、私と同じように喜び、同じように苦しみ、痛み、悲しみを味わってくださった。そして、私たちを罪から救うために、自ら十字架 にかかり、救いの道を完成してくださった。

 「それゆえ、わたしの主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌ エルと呼ぶ。」この言葉はどのような状況の中で語られたのか?当時イスラエルは北と南に分かれていて、南ユダ王国にアハズという王がいた。ある日、敵国が 攻めてきたとの知らせを受け、「王の心も民の心も森の木々が風に揺れ動くように動揺した。」(2)

 そのときに預言者イザヤがアハズ王のもとに遣わされ、神の言葉を伝えた。「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはな い。」(4)それを聞いた王は、神の言葉を聞いて安心とはならなかった。すると次に「主なるあなたの神にしるしを求めよ。」(11)と言った。アハズは答 えた。「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」(12)この言葉は神への信頼から出ているように聞こえるが、実は信仰の言葉ではなく、諦めか ら出た言葉でした。(求めたって仕方がない。駄目だ、無理だ、そんなこと言っても・・・)

 そこで神は、あなたがしるしを求めないなら、わたし自らしるしとなろう。「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をイ ンマヌエルと呼ぶ。」(14)これがクリスマスにおいて成就したのです。主イエスは神など必要ない、神など信じない、そういう不信仰の世界に来られた。不 条理の世界に翻弄されながら、無理だ、駄目だと諦めている私たちに、「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28: 20)と言って、私たちを慰め、励まし、勇気と希望を与えてくださっている。インマヌエル、これがすべての答えです。そして、この答えで十分なのです
 


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