「天使はマリアのところに来て言った。おめでとう、恵まれた方。主はあなたと共におられる。」(28)皆さんが考える恵まれた人生とはどんな人生ですか?
悩みや苦しみのない人生でしょうか、たくさんの物に囲まれて何不自由なく暮らせる人生でしょうか、それとも自分の計画通りに歩む人生でしょうか。いろいろ
あると思います。では、おめでとう、恵まれた方と言われたマリアはどんな人生を歩んだでしょうか?
天使はマリアに続けてこう言いました。「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」(31)。「マリアは天使に、どうしてそん
なことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」(34)当時の律法では、不貞を働いた女性は「石打の刑」に処せられる厳しい掟があった。
マリアにとっては死の宣告です。マリアは苦闘の末「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」と主の言葉を受け入れた。受け入
れがたい事を受け入れていく、それは諦めでもなく、絶望でもありません。
その後、マリアは主イエスを生みますが、「宿屋には彼らを泊めてくれる場所がなかった。」(7)ので、家畜小屋で主イエスを生み、家畜の餌を入れる飼い葉おけに寝かせ、死体を巻く布で我が子を包んだ。これが救い主の生まれ方か?
今度はヨセフに天使が告げました。「起きて、子どもとその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで。そこにと留まっていなさい。ヘロデが、こ
の子を探し出して子と殺そうとしている」(マタイ2:13)我が子を王が殺そうと探している。マリアは乳飲み子を連れてエジプトまで逃げます。
最後にはマリアの見ている前で我が子が十字架につけられ殺された。母親としてこれほど辛いことはありません。この人生のどこが恵まれた方なのでしょう
か?逆に、こんな不幸な人生があるかと思いたくなる。だが聖書からは不幸な人マリアは見えてこない。なぜ?その鍵は「おめでとうマリア、主が共におられ
る。」にある。主が共におられるならば、自分が望んだ人生に展開しなくても、不幸でない事が分かり。苦難の中にあっても、主が共におられるなら、人は幸福
でありえるのです。恵まれた人とは主が共におられる事を信じる人です。