主イエスのもとを訪れたニコデモは、ファリサイ派に属し、議員であった。そ
れは権力、知識、名誉、地位、すべてを備え持っている人であった。その彼が主イエスに、あなたは神のもとから来た教師(ラビ)である。どうしたら神の国に
入る(救われるのか)ことができるのかを教えてほしいと願った。彼は神を信じていたが、救いは得ていなかった。ニコデモは宗教指導者として教える立場にあ
るが、一番大切な「神の国に入る・救い」については分かっていなかった。しかも、それを一番求めているは自分だと知っていた。
主イエスは「はっきり言っておく、人は新たに生まれなければ神の国を見ることはできない。」と仰せた。ニコデモは「年をとった者が、どうして生
まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」(4)と言った。当然の答えだと思うが、ニコデモは肉体的な誕
生に気を取られ、魂に対する出来事として受け取る事が出来なかった。主イエスは、「はっきり言っておく、だれでも水と霊によって生まれなければ、神の国に
入ることはできない。」(5)救いは人間の努力や力ではなく、神の恵みによって得る者だと仰せた。
それを聞いたニコデモは「どうして、そんなことがありえましょうか。」と言った。主イエスは、はっきり言っておく。それは天から下ってきた救い主を信じる
ことだ。「それは独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(15)主イエスと向き合ったニコデモの中に葛藤がはじまります。この
後ニコデモさんはどうなったのか、
主イエスが十字架に架かって死なれた時、たくさんの高価な献げ物を持って遺体を引き取りにきた。そして十字架から主イエスを下ろし、亜麻布で包
み墓に納めたと23章の50節以降に記されている。夜な夜な人目を気にしながら主イエスの元に来たニコデモでしたが、今は昼間に、大勢の見ている前で堂々
と主イエスを信じ、新たに生まれ変わった姿を現したのです。
は一番求めていた大切な「神の国・救い」を手に入れたのです。「キリストと結ばれる人はだれでも、新らしく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(コリント㈡5:17)