使徒信条
「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、
イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリアより生まれ、
ポンティオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬ら
れ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能
の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりていける者と死にたる者
とを審きたまわん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、生徒の交わり、罪
の赦し、からだのよみがえり、永遠のいのちを信ず。」
今でも多くの教会がこの「使徒信条」を毎週の礼拝の中で告白しています。これはDC2世紀頃につくられた最も古い信仰告白文であると言われ、異端との戦
いの中で造られてきたものです。間違った教えに騙されないため、また新しい教えの風に揺り動かされないために、使徒信条を通して自らの信仰の確認をしよう
としたものであす。
この信条の中で「死にて葬られ、陰府にくだり」との告白があります。聖書において「陰府」とは死者の世界、暗闇に覆われ、死の力に支配された滅びの世界で
す。なぜ陰府が死の世界なのか、それは神との交わりが断たれ、神がおられない暗闇の世界だからです。「死の国に行けば、だれもあなたの名を唱えず、陰府に入れば、だれもあなたに感謝をささげません。」(6)
主イエスが陰府に降られたのは、そこに捕らわれている魂を救うため、そして、陰府の力を打ち破り、死の力を打ち破って、神に捨てられたと
いう世界を打ち破って、主イエスは復活され まし た。 「 わたし はあなたを見捨てない 」 と 言う 神の御心が 陰府に打ち勝った のです
。この世 の生活にも 陰府 が 存在します。だが 主イエスは 死後の陰府におい だけではなく、 この世の 陰府 においても、 私を 救 うため
に どこまでも追 い続けるのです。 ダビデ は 言った「どこに行けば、あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。 天に登ろうとも、あなたはそこにいまし。陰府に横たえようとも、見よ、あなたはそこにいまし。」