主日礼拝メッセージ  ー 父母を覚えての礼拝 ー                                                                2022年05月08日 

信仰を持って大胆に

山岸 明牧師

創世記12 章1−7 節
「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。

ロトも共に行った。
アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。」



 「主はアブラムに言われた。あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。」(1 -2)このとき、主はアブラムに行き先を示されませんでした。アブラムはどこに行くかも知らされないまま旅立ちました。それもアブラムが75 歳のときです。今でいうと40 代というところでしょうか。人生半ばで住み慣れた土地を離れるというの大変厳しいものがあります。そこには今まで築いてきた人生の土台があるからです。ア ブラムは何故、大胆にもそのような決断と行動ができたのでしょうか?

 ヘブライ人への手紙11 章8 節に、「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。」と ある。アブラムは無鉄砲で度胸があったからではなく、信仰によって決断し行動したのです。「あなたを大いなる国民にし/あなたを祝福する。」この主のみ言 葉の約束を信じたのです。アブラムは自らの手の中に望みを置かずに、主に望みを置いたのです。この信仰がアブラムを大胆にし、また人生を大きく変えたので す。
主の約束を信じて歩み出したアブラムでしたが、全てが順調に行ったわけではありません。主が示された地に着いてみると、何とそこには先住民であるカナン人が住んでいた。戸惑うアブラムに主はこう仰せられた。「わたしはあなたの子孫にこの地を与える。」アブラムは更に旅を続けネゲブ地方に移った。しかし今度は飢饉にあった。

 アブラムにとって目の前の現実は厳しいものであった。ときに神の約束と信じていても受け入れ難くなるときがある、約束の地に先住民はいる、飢饉にも会 う。この窮地にアブラムが取った行動は、難を避けるようにエジプトに下って行った。しかし、そこは主の約束した土地ではなかった。アブラムは目の前の現実 の厳しさを前に、主に頼ることもなく、主に相談すらすることもなく、自らの判断で歩み出してしまう・・・これが私たち信仰者が出会う危機なのです。主に示 された道ならば、最後まで主に聞き従うのです。「恵みにあずかって、時宣にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」(ヘブライ4:16)とあります。信仰とは神の支えの中で、大胆に神に近づくこと、大胆な人生の歩みは信仰の確信から始まるのです。
 
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