主日礼拝メッセージ                                                                        2022年11月20

神は謙虚な人を祝福する
  
山岸 明牧師

「わたしはあなたを目覚めさせ、
行くべき道を教えよう。
あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。」
詩編32章8〜11節


 ダビデは羊飼いからイスラエルの二代目の王になった人です。その生涯は波乱万丈の人生 でした。大きな失敗もした。また取り返しのつかない罪も犯した。それでも神はこのダビデを豊かに祝福された。本来は初代王の名が語り継がれるものですが、 ダビデの名は今なお語り継がれている。

 では初代サウル王と二代目ダビデ王の違いは何だったのでしょうか。サウル王もダビデ王も共に主を信じた者です。敵との戦いにおいて両者とも勝利し、民を 守りました。何が違ったのか?ダビデは失敗したときも、罪を犯したときも、苦難のときも、悩みのときも、誤解を受けたときも、どうにもならなくなったとき も、どんなときにも神を求め、神に立ち返っていきました。一方のサウル王は立ち返るところを知っていたが、そこに立ち返らず、最後は自分の中に戻っていっ た。これがサウル王とダビデ王の決定的な違いでした。神の前に謙虚にならなければ、最後は自分に戻っていってしまうのです。

 私たちの人生も、今日に至るまでいろいろなことがありました。ダビデと同じように失敗もした。罪も犯してきた。嘘もついてきた。誤解も受けた。苦難もあ り悩みもあった。これからもあるでしょう。でも、そのときどうするかです。ダビデのように神に立ち返るか、それともサウル王のように自分の中に戻っていく のか。

 ダビデは言った「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとり伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。」(23:1-3)。ダビデは羊飼いをしていたので羊のことがよく分かりました。羊飼いのいない羊か生きていくことがどんなに危険であるか。

 心が疲れて、信仰が弱くなると、愛されていることも、祝福を頂いていることも忘れて、闇の中に留まってしまうことがありますが、勇気を持って神に心を向け立ち返りましょう。そうすれば、私にとっても「あなたはわたしの隠れが。苦難からまもってくださるお方。救いの喜びをもって、わたしを囲んでくださる方。」(7)となるでしょう。