【礼拝メッセ−ジ要約】                           2002年1月6日

「キリストを拝みに来ました」

マタイによる福音書 第2章1−12節

メッセージ:高橋淑郎牧師

【要 約】                  

 東方の博士たちを通して救い主御降誕の知らせを受けた時、ヘロデは心に動揺を覚えながら、ユダヤ教の指導者たちを集めてそれが事実かどうか確かめました。すると学者たちはを示して、「その方はベツレヘムにお生まれになります」と答えました(ミカ書5:1)。聖書が開かれ朗読されたと言うことはクリスマスへの招待状を頂いたことを意味するのですから、ヘロデは直ちに博士たちと共に行くべきでした。王の側近たちも行くべきでした。しかし残念なことに王宮にいた者は誰一人ベツレヘムへ行こうとしません。ヘロデは神の備えて下さった永遠の命に至る道よりもこの世の栄耀栄華を優先しました。それだけではありません。ヘロデはこの新しい王を抹殺する企てをし、それを実行しました。ベツレヘムに住む2歳以下の男児を皆殺しにせよと命じたのでした(マタイ2:16−18)。

 一方「ユダヤ人の王(キリスト)はエルサレムではなく、ベツレヘムに生まれる」という聖書の預言を示された東方の博士たちは、直ちにベツレヘムへ行き、幼子イエスの御前にひれ伏しました。そして喜びの内に持ってきた宝の箱を開けて黄金・乳香・没薬等を献げました。

@ 黄金、それは王なるイエス・キリストへの献げ物という意味があります。

A 乳香、それは神なるイエス・キリストへの献げ物という意味があります。

B 没薬、それは救い主なるイエス・キリストへの献げ物という意味があります。

 

 旧約聖書に「シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。こうして主の栄誉が宣べ伝えられる」(イザヤ書60:6)と預言されている通りのことが、今博士たちによって実現しました。没薬はイエス・キリストが全世界の罪の身代わりに十字架に死なれた時、人々はご遺体に塗ったのと同じものです(ヨハネ19:40)。

 ヘロデは権勢やこの世の物を手放すことを惜しんで真の喜びと平安と永遠の命を見失いました。東方の博士たちは手にある物を先ず献げたことによって救い主にまみえ、最も大切なものを頂くことが出来ました。今朝あなたは何を手放し、何を受けましたか。心静かに主の問いかけに耳を傾けて応答して下さい。

 


【礼拝メッセ−ジ】                            2002年1月6日

「キリストを拝みに来ました」

マタイによる福音書 第2章1−12節

メッセージ:高橋淑郎牧師

 

 紀元3世紀ごろギリシャを中心とした東方カトリック教会が1月6日をキリスト降誕日として祝うようになりました。その後クリスマスの時期について様々な変遷を経ましたが、4世紀頃ローマを中心とした西方カトリック教会ではイエス・キリストが降誕された日を12月25日と定め、1月6日までの12日間をキリスト降誕節として祝うようになりました。日本のキリスト教会も大体この理解に添って降誕節を過ごすようにしています。同時に1月6日を幼子イエスがユダヤ人の枠を超えて公にご自身を現された節目の時として「顕現日」と呼ぶようになりました。キリスト降誕という大きな喜びが異邦人にも与えられたことを記念するからです。私たちも東方の博士たちと共に今一度クリスマスの喜びを分かち合いたいと思います。

 

一、神への挑戦者ヘロデ

 ルカによる福音書2章にはユダヤの底辺に忘れ去られている人々が天使によってイエス・キリストご降誕の知らせを受けて、クリスマスを祝う様子が描かれていますが、マタイ2章もまた分け隔てなく、エルサレムの王宮に住む人々に、また遠く東の国に住む異邦人にもクリスマスへの招待状が与えられたという恵み深い神のご配慮を見ることができます。

 実はヘロデ一族は純粋なユダヤ人ではありませんでした。彼の家系は同じアブラハムの子孫ではありますが、イサクの長男エサウの子孫で、後にエドム人と呼ばれた一人です。彼が育った時代は中東の支配者がギリシャからローマへと移る過渡期でパレスチナ一帯も混乱していました。その混乱に乗じて彼はライバルを次から次へと追い落としながら、カイザル(紀元前102−44年)やオクタビアス(紀元前63−紀元後14年。後に元老院から「アウグストウス−尊厳者」の称号を贈られています)等に取り入ってパレスチナの支配権を勝ち取りました。彼は後にヘロデ大王と呼ばれています。このように権力も地位も名声も欲しい物は何でも手に入れた彼ですが、最も大切なものを受け損ないました。それは何でしょうか。イエス・キリストに出会う喜びと、永遠の命です。

 東方の博士たちを通して救い主御降誕の知らせを受けた時、ヘロデは心に動揺を覚えながら、ユダヤ教の指導者たちを集めてそれが事実かどうか確かめました。すると学者たちはミカ書5:1(p.1454)を示して、「その方はベツレヘムにお生まれになります」と答えました。聖書が開かれ朗読されたと言うことはクリスマスへの招待状を頂いたことを意味するのですから、ヘロデは直ちに博士たちと共に行くべきでした。王の側近たちも行くべきでした。しかし残念なことに王宮にいた者は誰一人ベツレヘムに行こうとしません。ヘロデは神の備えて下さった永遠の命に至る道よりもこの世の栄耀栄華を優先しました。それだけではありません。ヘロデはこの新しい王を抹殺する企てをし、それを実行しました。ベツレヘムに住む2歳以下の男児を皆殺しにせよと命じたのでした(マタイ2:16−18)。

 旧約聖書に「エサウはヤコブの兄ではないかと主は言われる。しかし、わたしはヤコブを愛しエサウを憎んだ」(マラキ書1:2−3 p.1496)とあります。これは神が本当に兄弟の一方を愛したり憎んだりしたという意味ではありません。これはヤコブの末裔として生まれて下さった神の独り子イエス・キリストに対するエサウの子孫ヘロデの恐るべき神への挑戦という実話に基づいて読みとると良く分かります。使徒パウロはローマ9:13でそのように理解して引用しています。

この世の支配者が神に対する畏れを感じなくなると、社会は恐怖のどん底に突き落とされます。ヘロデのような指導者が今も世界を恐怖に陥れていることを深く思い、教会は今年も世界中の指導者や為政者のため、彼らが生ける真の神を畏れる心の目が開かれるように、また平和のために祈らなければなりません。

 

二、礼拝しましょう

 一方東から来た博士たちはどうでしょう。彼らは天体の動きを研究する学者でした。ある夜西の空に異様に輝く星を見た時、彼らはそれを科学者の目で貴重な研究課題として調査しようと考えたかどうか分かりませんが、同時に神を畏れる人々であったと聖書は伝えています。彼らは地上のことばかりに目を奪われているこの世の支配者たちではなく、日夜大空を見上げて天体の動きからもっと高いところにおられる見えざる神に対する畏れへと導かれた人々です。

 西の空に一際輝きを増す星の出現を見て、恐らく彼らはユダヤ人から聞き覚えた聖書の一節を思い出したのではないでしょうか。その聖書の箇所とは民数記24:17(p.256)です。良い機会ですから私たちも一緒にそこを読んでみましょう。

「わたしには彼が見える。しかし、今はいない。
彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。
ひとつの星がヤコブから進み出る。
ひとつの笏(しゃく)がイスラエルから立ち上がり
モアブのこめかみを打ち砕き
シェトのすべての子らの頭の頂を砕く。」

 ユダヤ人は歴史的に悲劇の民族です。紀元前8世紀以後、打ち続く戦乱の果てに国民の大半はヨーロッパからアジアに至る広い範囲に散らされて行きました。帰るにも国はもう滅びてしまっているのです。散らされたところに根を生やして生き延びて行くしかないのです。しかし彼らはどこにあってもユダヤ人としての誇りとアイデンティティを失いませんでした。どこにあっても天地創造の神を忘れず、また聖書を手離さなかったからです。そんな彼らの生き様はきっとその土地、土地の人々に少なからず影響を与えたに違いありません。そのユダヤ人によって東方の博士たちも聖書に聴く機会があり、そのみ言葉がいつの間にか心に焼き付いていたのではないでしょうか。だから彼ら見た星を神さまからの何か特別のメッセ−ジと受けとめて学者仲間を集めてその星の正体を調べることもさることながら、星を通して世界に与えられた素晴らしいメッセ−ジの内容をもっと詳しく知りたいと、そう思って出発しました。

 彼らは聖書の国ユダヤに憧れを感じていました。一度滅亡したはずの国が、現在ローマの支配下にあるとは言え復興しているのです。こんな事は世界の歴史上聞いたことがありません。奇蹟としか言いようがありません。聖書が証言する神の力を認めずにはいられません。しかも聖書が預言する新しい王が生まれたというしるしを星に見、聖書に見たのです。彼らは憧れの土を踏むや、まっしぐらにヘロデ王の下へ謁見を申し出ました。

 新しい王はエルサレムではなく、ベツレヘムに生まれるという聖書の記事を示された時、彼らは直ちにベツレヘムに行き、幼子イエスの御前にひれ伏しました。そして喜びの内に大切に持ち運んできた宝の箱を開けて黄金・乳香・没薬などを献げました。

C 黄金、それは王なるイエス・キリストへの献げ物という意味があります。

D 乳香、それは神なるイエス・キリストへの献げ物という意味があります。

E 没薬、それは救い主なるイエス・キリストへの献げ物という意味があります。

 

 旧約聖書に「シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。こうして主の栄誉が宣べ伝えられる」(イザヤ書60:6)と預言されている通りのことが、今博士たちによって実現しました。この没薬はイエス・キリストが十字架に死なれた時、人々はご遺体に塗ったのと同じものです(ヨハネ19:40)。ヘロデは権勢やこの世の物を手放すことを惜しんで真の喜びと平安と永遠の命を見失いました。東方の博士たちは手にある物を先ず献げたことによって救い主にまみえ、最も大切なものを頂くことが出来ました。今朝あなたは何を手放し、何を受けましたか。心静かに主の問いかけに耳を傾けて応答して下さい。 祈りましょう。

天の父なる神さま、あなたの御名を崇めます。

 今朝、私たちはヘロデと東方の博士たちを通してイエス・キリストを中心として世界が光と闇とに分けられたことを学びました。今も世界はイエス・キリストを受け入れない盲目の支配者たちが、ヘロデのように口では「わたしも拝みに行く」と正義の仮面を被って、影で残虐な計画を練り、それを実行していることを思い、この罪深い世界のためにあなたにお詫びしなければなりません。しかしまた一方で東方の博士たちのように、距離を厭わず、地位も名誉も宝の一切を主に献げるて、あなたを王なるキリストと受け入れてあなたの御前にひれ伏す敬虔な神の人の多くあることを信じて感謝します。主イエスよ、この教会を東方の博士たちで満たして下さい。主の日毎に、また祈祷会ごとに、「あなたを拝みに来ました」とひれ伏す人々で満たして下さい。この罪深い世界を嘆くだけでなく、私たちをあなたの憐れみと救いのメッセンジャーとしてこの地域のために、この国のために、この世界のためにお用い下さい。

私たちの主イエス・キリストの御名によってお願いします。アーメン

 


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