【主日礼拝メッセ−ジ要約】                       2002年7月21日

預かったタラントン
マタイによる福音書25章14-30節
メッセージ:高橋淑郎牧師

 

 タラントンとは今日芸能界の人を指して呼ぶ「タレントさん」の語源です。それは私たちがこの世で神と人に奉仕することが出来るようにと賜った愛の力です。5タラントンと2タラントンを預かった僕(しもべ=奴隷)は主人の心を正しく理解してそのタラントンを忠実に用い、帰ってきた主人に良い結果を報告して大変喜ばれ、更に重要な使命を受けることになりました。しかし1タラントン預かった僕は主人の心を理解するどころか、一方的に厳しく残酷な主人だと誤解して臆病になり、預かったタラントンを活用しないで土に埋めて主人の帰りを待っていました。やがて帰ってきた主人は彼に対して「怠け者の悪い僕だ」と怒り、差し出した1タラントンを取り上げて10タラントンを儲けた忠実な良い僕に与えてしまいました。

 読者である皆さんはこのタラントンの意味が分かりますか。神さまは私たちがこの世で神と人に奉仕するために計り知れないタラントンを預けて下さっているのです。あなたが神さまを信じてその賜物をもって力一杯主であるあなたの神さまに仕えて行くならば、主はあなたを更に祝福して下さいます。しかし「どうせ神などいない」とか、「神が一体何をしてくれるのか」と自分本位に神さまを誤解して、主イエス・キリストを喜ばせることに熱心でないなら、終わりの日、そのような人に対して、「怠け者の悪い僕」とお裁きになることでしょう。

 19節の「かなり日がたってから」と言うみ言葉を思い出して下さい。これは「忠実な良い僕」のためと言うよりも、「怠け者の悪い僕」のために主人が与えたチャンスではなかったでしょうか。あなたがもし「自分は忠実な良い僕だ」という自信があれば何の問題もないのですが、もしあなたが怠け者の悪い僕だという自覚があるなら、あなたにとって今朝の礼拝は神さまがあなたのために与えて下さったチャンスなのです。あなたは今まで主人である神さまを誤解して神さまから賜ったタラントンを土の中に埋めるような生活をしていたとしても、今ならまだ主人は帰ってきていませんから、まだ主イエス・キリストの再臨の日は来ていませんから、思い直してタラントンを掘り返して下さい。今ならまだそのタラントンを用いる時間があります。今は恵みの時、救いの日です。悔い改める為の時間が残されています。

 

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【主日礼拝メッセ−ジ】                          2002年7月21日

預かったタラントン
マタイによる福音書25章14-30節
メッセージ:高橋淑郎牧師

 

 今司式者が読んで下さったタラントンの譬え話も主イエス・キリストの再臨を待ち望む心構えを教えるものであります。永く教会生活をしている人には説明をするまでもなく、この場合の「主人」は勿論キリスト、「僕」とはキリスト者のことであります。「旅に出かける」とは、キリストが地上を離れて天に挙げられることを指しています。 

 先ず14−18節に、主人は旅に出かける前、それぞれの力に応じて、ある人には5タラントン、ある人には2タラントン、別の人には1タラントン預けました。「それぞれの力に応じて」とありますが、それは主人であるキリストがこの人には5タラントンを生かす力がある。この人には2タラントン、また1タラントンを生かす力があると見なして下さることで、タラントンとは才能とか能力のことではなく、神からの賜物という意味なのです。今日芸能界にいる人を「タレントさん」と呼びますが、元々はこのタラントンの譬え話から来た呼び方なのです。ところで当時の1タラントンは同じギリシャ通貨で両替すると、6000ドラクメに相当します。当時の日当が1ドラクメでしたから、1タラントンは6000日分の日当に相当します。年間の労働日数を300日として計算すると、何と20年分です。5タラントン預けられた人はその5倍ですから、100年分です。主人はこんな大金を惜しげもなく僕たちに預けて旅に出かけたのです。これと良く似た譬え話がルカ19:11−21に書かれていますが、そこでは1人1ムナずつでした。因みに1ムナは100ドラクメです。タラントンの譬え話もムナの譬え話も基本的には同じ教えです。神から賜ったものを如何に用いるかという点では同じ譬えなのです。神はどの人にも計り知れない賜物を与えておられます。主人はいつまでも留守をしたままではありません。旅に出かけたのですから、いつの日か必ず帰ってきます。主人の帰る日とは、主なるキリストの再臨の日です。「かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始め」ました。5タラントン預かった人はその日になっても慌てることはありません。2タラントンの人もそうです。5タラントン預かった人はそれを元手に商売をして更に5タラントンを儲け、2タラントンの人も更に2タラントン儲けました。ところが1タラントンの人は少々落ち着きません。この人は主人から1タラントンを生かす力があると信頼され、期待されていたのです。しかし彼は主人の信頼も期待も裏切ってしまいました。旅から帰ってきた主人が問題にしているのは、預けたタラントンの量ではなく、彼らが主人から得た信頼と期待にどう応えたかと言うことであります。 

 19−23節を見て下さい。主人は5タラントンを預けた僕と2タラントンを預けた僕に対して、何の格差も付けないで、同じほめ言葉を与えました。「忠実な良い僕だ。良くやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。」と。彼らはいくら儲けたからとか、商売上手であったからほめられたのではありません。主人は彼らの「忠実さ」をほめたのです。「忠実」と訳された言葉には、「信用できる」、また「信頼できる」という意味があります。僕たちは委託されたものをどのように誠実に運用したか、即ち如何に信頼に値する用い方をしたかにかかっていました。彼らはそのような主人の思いを理解していたから、主人から「あなたたちは確かに信頼に値する者、信用できる者」と見なされ、「多くのものを管理させようと」という新たな使命に生きる者とされるのです。これが天国に住む者に与えられる報いであります。天国とは、ただ何もしないで面白おかしく暮らすところではありません。多くのものを管理するという新たな仕事が与えられるところなのです。 

 最後に24−30節を見ると、1タラントン預かった僕が登場します。彼は預かったタラントンを土に埋めて主人の帰りを待っていました。主人の帰りがかなり遅かったにもかかわらず、埋めた場所もちゃんと覚えていて、その上損もしないで預かったままの額を返しました。それなのに主人は「怠け者の悪い僕だ」と大いに彼を叱りつけた上に、彼が差し出した1タラントンを10タラントン儲けた人に上乗せボーナスとして与えてしまいました。この人はどうして怠け者なのでしょう。悪い僕なのでしょうか。彼は僕の立場であるにもかかわらず、「主人は蒔かないところから刈り取り、散らさないところからかき集める厳しい方だ」と自己流の分析をしたからです。そしてその分析の結果、何もしないでタラントンを地面に隠しておくことにしようと短絡した結論を引き出して、怠惰な生活に走ってしまったからです。彼は主人を一方的に誤解して臆病になり、尻込みをし、負の行為に走ってしまいました。主人は怒って言います。「それなら銀行に預けておけば、せめて利息だけでも見ることが出来たのに」と。確かに古代ギリシャ、ローマの時代から既に銀行は広く普及していました。商業活動に熱心なユダヤ人社会には重宝なものでした。

 私たちキリスト者にとって神さまから賜ったタラントンを銀行に預けるとはどのように理解したら良いのか難問ですが、「銀行」の件(くだり)は主イエスの譬の流れの中のこととして無理な解釈をせずに読み過ごしておいた方が良いと思います。この譬え話の中心は私たちキリスト者は日常の教会生活の中で、また社会生活の中で、主からのタラントンを忠実に用いることにあります。「主からの賜物を用いてあなたたちの最善を主に献げなさい」と主は言っておられるのです。教会にあっても、この世にあってもあなたのタラントンをもって忠実に奉仕しなさいと主は言われます。

 19節の「かなり日がたってから」と言うみ言葉を思い出して下さい。これは「忠実な良い僕」のためと言うよりも、「怠け者の悪い僕」のために主人が与えたチャンスではなかったでしょうか。あなたがもし「自分は忠実な良い僕だ」という自信があれば何の問題もないのですが、もしあなたが怠け者の悪い僕だという自覚があるなら、あなたにとって今朝の礼拝は神さまがあなたのために与えて下さったチャンスなのです。あなたは今まで主人である神さまを誤解して神さまから賜ったタラントンを土の中に埋めるような生活をしていたとしても、今ならまだ主人は帰ってきていませんから、まだ主イエス・キリストの再臨の日は来ていませんから、思い直してタラントンを掘り返して下さい。今ならまだそのタラントンを用いる時間があります。今は恵みの時、救いの日です。悔い改める為の時間が残されています。

 

祈りましょう。

天の父なる神さま、あなたの御名を崇め、讃美申し上げます。

今日のメッセ−ジを感謝します。私たちはこのみ言葉を何度か読み返しました。今日もまた読みました。今日もまたあなたは私たちに語りかけて下さいました。あなたは言われます。「わたしはすぐに来る。わたしの帰りが遅いと思っているなら、それは怠惰な悪い僕に悔い改めの機会を与える為である。」と。私たちはつい人の信仰生活ばかり気になって、その人と比較して自分には多くのタラントンが与えられていないと不平を漏らすことがあります。しかし今朝、1タラントンでさえもの凄い価値があることを知りました。私たちは他人と比較する必要などなかったのです。大切なのはあなたから賜ったタラントンをもう一度土から掘り返して、この世のため、またあなたの教会の為に忠実に、そして精一杯用いさせていただくことであることが分かりました。主よ、あなたのご寛容と憐れみとを感謝します。

私たちの主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

 


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