【主日礼拝−メッセ−ジ要約】 2002年9月29日
マルコによる福音書2章1-12節
カファルナウムの町にはたくさんの人々がイエス様に病気を癒してもらいたいと願い集まって来ています。そこへ一人の中風の人を床に乗せた4人の男たちがやって来ました。この中風の人はおそらく人々の尊敬を集めていた人ではないかと思うのです。このまま生涯が終わってはと思った隣人達が相談をし、イエス様ならこの人を癒してくれるだろうと4人の男たちをつかわしたのではないでしょうか。
彼らはみんなの期待と信仰とを一手に引き受けて中風の人をイエス様のいる家のそばまで運んで来ました。ところが、噂を聞いて集まってきた大勢の人達に阻まれて家に入る方法が見つからなかったのです。
2000年前のカファルナウムの町も今日の東京の町も同じです。今助けを必要としている一人の人のために道を開けようとしない。そういう状況が当時もあったし、今もあるということをここで私たちはあらためて知らされるのです。
そこで、とうとう彼らは屋根に登り瓦をはいで、病人を床ごとイエス様の前につり降ろしたのです。彼ら4人は、イエス様に対する信仰のゆえに中風の人を連れてきました。その絶対的な信仰はこの屋根を破るという乱暴ともおもえる行為に出たのです。信仰とは人の目には非常識と思われるような事でも恐れずに行わせる。また、人をひたむきな生き方えと導いてくれるのだと思うのです。
そして「イエスはその人達の信仰を見て」病気を癒されたとあります。床に寝かされている当人は勿論病気を治したいと願っていたでしょう、しかしそのことには触れず、連れてきた4人の何とか病気を治してやりたいという思い、その心を見て神様は奇跡を示されたわけです。
私たちの周りには祈りを必要としている人達がたくさんいます。教会の中をみても、祈らなければならない事柄が数え切れないほど有ります。私たちはできうる限りお互いの問題や悩みを共有し、祈りあっていかなければと思うのです。不可能と思えることでも、諦めることなく熱心に祈りつづけるなら神様は必ず最上の答えを示してくださるでしょう。そのことを私たちは信じることができるのです。