アドベント第2週                      2002年12月8日
【主日礼拝・メッセージ要約】                      
「主の栄光は全地に」

民数記14章21節

メッセージ 高橋淑郎牧師

 

 人間の内面に起こるさまざまなアクシデントの問題があります。人が病に伏す場合、それは肉体的な問題と向き合うだけではすみません。病気が重くなり、また長引くほど医師や看護士の一挙一動が気になります。彼らの一言半句にも脅えます。果たしてこの病気は治るのかという不安が増します。それに伴う経済的負担、看病する家族の負担を察します。患者にはそう言う心の葛藤もあるのです。この不安は家族にもあります。病いから来る苦痛は肉体的なものに限らないのです。

 多くの高齢者は肉体的衰えをなかなか受け入れることができません。昨日できたことが今日できなくなっている自分に愕然とします。何をしようとしてもいつも周りの人から、「早く、早く」と急き立てられているような気がして焦ります。老いることを誰よりも恐怖しているのは高齢者自身だと言っても良いでしょう。そんなつもりはないのに自分の殻の中に閉じこもりがちになります。出かけることが億劫(おっくう)になります。その結果孤独を託(かこ)ってしまうのです。

 「人の心は病苦をも忍ぶ、しかし心の痛むときは、だれがそれに耐えようか。」(箴言18:14)というみ言葉があるように、病苦を忍ぶはずの心そのものが病んでしまいます。人間の心はこのように脆弱(ぜいじゃく)です。社会の一寸した歯車の狂い、人間関係の僅かなボタンのかけ違いによって心は壊れて行くのです。今若者だけでなく幅広い年齢層の中に見られる現象の一つに「とじこもり」、或いは「引きこもり」と言われる症状の人が増えています。社会に順応できずに家の中に閉じこもる心の病です。こういう人生の暗闇の問題を私たちはどのように受けとめればよいのでしょうか。どこに解決の光を見いだすことができるのでしょうか。

 「主の栄光は全地に満ちている」と主なる神は言われます。あの東方の博士達にクリスマスの喜びを告げた星のように(マタイ2:1〜12)、神は全ての教会とそこに導かれているキリスト者をその星の一つひとつとして用い、今なお神なく望みなく心の闇路を彷徨(さまよ)う人々の上に輝き照らして下さいます。主なるキリストだけがあなたの上に真の希望をもたらして下さるのです。主なるキリストの下に行きましょう。

 
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アドベント第2週                      2002年12月8日
【主日礼拝・メッセージ】                      
「主の栄光は全地に」

民数記14章21節

メッセージ 高橋淑郎牧師

 

 キリストの教会がクリスマスまでの4週間を主イエス・キリストのお生まれを待ち望むクリスマス・アドベントとして定めたのには意味があります。その一つとしてマタイによる福音書2:1〜12の出来事が背景になっていると申し上げることができます。遙か東の国の天文を研究する博士達−それがどこの国かは分かりませんが、彼らは遠く西の方に一際輝く星を発見してその星を頼りに旅に出ました。同じ国の人か別々の国から集められてきたのか、それも分かりません。また人数も分かりません。分かっているのは、彼らは皆その星の輝きをユダヤ人の王、メシヤと呼ばれる方がお生まれになったしるしと信じて、その方を拝みに行こうと旅を始めたことです。ユダヤ人の王、イエス・キリストにお目にかかって、その方を拝むことができるまでどのくらいの道程を、どのくらいの時間がかかったのか分かりませんが、彼らが主イエスを訪ね求めてお目にかかるまで旅した日々に因んで、今日私たちはクリスマス・アドベントとして4週間を過ごすのです。

 この民数記14章を通読した人はお分かりと思いますが、何度読んでも胸を刺される思いがします。初めてここを読む人には尚更、どうしてこれがクリスマスのメッセ−ジと結びつくのかと訝(いぶか)る方も多いことでしょう。イスラエルの民はエジプトの奴隷の軛から救い出されて約束の地カナンを目の前にしていました。そこは彼らの先祖ヤコブの領地でしたが、偵察隊の報告によると今では強力な異国の民が住み着いているということです。それを聞いた民は浮き足立ち、ここまで導いてきた指導者モーセと神に反抗して、「カナンで戦って死ぬよりはエジプトに帰って再び奴隷として繋がれる方がましだ」と呟きました。その時神はこの民を見限り、モーセとごく僅かな者を除いて不信仰な者たち全てを滅ぼすと言われました。しかし、モーセは神と不信の民との破れた関係の間に立ち、執り成しの祈りをささげたおかげで、神はこの祈りに耳を傾けて彼らを滅ぼすと決めた御心を思い留まって下さいました。けれども神は彼らを懲らしめるために、目と鼻の先程の距離にあるカナンへの道から、敢えて40年の道程をかけなければ行き着くことができない迂回路へとコースを変えてしまわれました。そしてこの不信の民は誰ひとりカナンの地を踏むことなく荒野に屍(かばね)をさらすことになると言われました。この厳しいみ言葉が21節から始まるのです。「しかし、わたしは生きており、主の栄光は全地に満ちている。…わたしをないがしろにする者はだれ一人、カナンを見ることはない」と。

 このみ言葉の通り、世界は今尚神に反抗する民の為に混沌としています。確かに世界は神も希望も見失いつつあります。アメリカやイギリスを中心とした勢力の対イラク戦争の危険が現実のものになろうとしています。また北朝鮮の拉致問題と核疑惑問題もなかなか進展しません。航空機、自動車、工場の排気ガスによる温暖化現象は南極の氷をとかし、太平洋の島嶼(とうしょ)を脅かし、数年後には海面の下に没してしまう危機的状況です。また富める国と貧しい国の差が一層広がり、テロや覚醒剤を蔓延(まんえん)させる一因を為しています。

 内に目を向けると経済の冷え込みは深刻です。企業の倒産は増え、そこに働く人々は生活の目途が立ちません。何とか凌いでいる企業では従業員のリストラが盛んに行われています。高齢者は日増しに体力の衰えと向き合わなければならないのに健康保険料と診療費、薬代が高騰する一方です。団塊世代と呼ばれる中高年層の定年離婚が急増しています。若者は自分たちの親の生き様に失望して結婚に希望を持てないでいます。中高生たちの瞳に生気が感じられません。まさに今の時代は暗く、また険しい道のりです。多くの人にとってかつての日々は悲劇と不幸の連続でしたが、かと言って今日の社会状況を見ると進むも地獄です。先行きに不安を感じているのです。

 こういう時代の中で本日クリスマス・アドベント第2主日礼拝の中で与えられた民数記14:21に照らしてみるとき、どう言うことになるでしょうか。イザヤは言います。このような時代であってもクリスマスの約束は、同時に招きなのです。いいえ、神はイザヤを通してこのような時代だからこそこのみ言葉に信頼して、先行き不安と思える未知の世界に足を踏み入れなさいと言われているのです。後退してはならないのです。ともすると私たちの心には今の状況を絶望的と思い込む余り、過去の日々を懐かしみ、あの頃は良かったのにと呟きが出てきます。しかしいたずらに過去を懐かしむところに平安はありません。むしろそれは再び私たちを奴隷の軛(くびき)に繋ごうとする悪しき霊の働きです。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)と宣言し、私たちの先頭に立って私たちを導くために主イエス・キリストは間もなくおいでになります。クリスマス・アドベントの日々は私たちに前進する力を保証する光をもたらしてくれるのです。

 

 第二に人間の内面に起こるさまざまなアクシデントの問題があります。人が病に伏す場合、それは肉体的な問題と向き合うだけではすみません。病気が重くなり、また長引くほど医師や看護士の一挙一動が気になります。彼らの一言半句にも脅えます。果たしてこの病気は治るのかという不安が増します。またそれに伴う経済的負担、看病する家族の負担を察します。患者にはそう言う心の葛藤(かっとう)もあるのです。この不安は当然家族にもあります。病いから来る苦痛は肉体的なものに限らないのです。

 多くの高齢者は肉体的衰えをなかなか受け入れることができません。昨日できたことが今日できなくなっている自分に愕然(がくぜん)とします。何をしようとしてもいつも周りの人から、「早く、早く」と急き立てられているような気がして焦ります。老いることを誰よりも恐怖しているのは高齢者自身だと言っても良いでしょう。そんなつもりはないのに自分の殻(から)の中に閉じこもりがちになります。出かけることが億劫(おっくう)になります。その結果孤独を託(かこ)ってしまうのです。

 聖書に「人の心は病苦をも忍ぶ、しかし心の痛むときは、だれがそれに耐えようか。」(口語訳 箴言18:14)という一節があるように、確かに現代社会は病苦を忍ぶはずの、心そのものが病んでしまっています。人間の心はそれほど脆弱(ぜいじゃく)なのです。社会の一寸した歯車の狂い、人間関係の僅かなボタンのかけ違いによって心は壊(こわ)れて行くのです。今若者だけでなく幅広い年齢層の中に見られる現象の一つに「とじこもり」、或いは「引きこもり」と言われる症状の人が増えています。社会に順応できずに家の中に閉じこもる心の病です。こういう人生の暗闇(くらやみ)の問題を私たちはどのように受けとめればよいのでしょうか。どこに解決の光を見いだすことができるのでしょうか。

 神は「主の栄光は全地に満ちている」と言われます。クリスマス・アドベントの今日、主の栄光は戦争を口にして平和を脅かす人々の上にも、重症の病と向き合って不安を抱えている人、またその家族、老いを恐怖しながら孤独な日々を送っている高齢者、誰と会うことも語らうこともできずに閉じこもるばかりの人全ての人を照らしています。

 「主の栄光は全地に満ちている」と主なる神は言われます。このみ言葉の通りに、もし主の栄光が全地に満ちるのであれば、あの東の国の博士達にクリスマスの喜びを告げた星は今もその人々の頭上に明るく輝いています。なぜなら神は今日(こんにち)全てのキリスト者をその星の一つひとつとして用い、今なお神なく、望みなく心の闇路(やみじ)を彷徨(さまよ)う人々の上に輝き照らして下さるのです。

 今朝、私たち仙川キリスト教会がこの地に伝道を開始して満40年の節目を迎えました。教会として40歳の誕生日です。真にめでたいことです。この節目にクリスマスを祝うことが許されている私たちは何という光栄でしょうか。同時に私たちは考えます。この仙川キリスト教会をこの地に建て上げられた神の目的はどこにあるのかということを。クリスマス・アドベントの4週間は私たちのためだけに与えられた日々ではありません。その昔、神の御使が東の国の博士たちに救い主のお生まれを告げる星として輝き照らし、救い主のいます処へと導いたように、この世の混沌とした闇路を神無く、望みなく彷徨(さまよ)う人々に、この教会が、そしてこの教会のメンバーである教会員一人ひとりが、主イエス・キリストのお生まれを告げる星の一つとして彼らの上に輝くように遣わされる日々なのです。22日のクリスマス礼拝の日、一緒にこのところで主なるキリストにお目に掛かって共に拝みましょうと案内して回る日々なのです。 祈りましょう。

 

天の父なる神さま、あなたの御名を崇めます。

「主の栄光は全地に満ちている」と、み言葉を感謝します。実際この世は暗黒です。平和が脅かされています。富む者と貧しい者の開きが益々大きくなっています。病む者の心を癒すものがこの世には見出せないでいます。高齢者は老いに脅え、死の恐怖に苛(さいな)まれています。救いを求める宛てもなく、部屋の中に閉じこもって死に憧(あこが)れを感じている人も数多くいると言うことです。多くの人が暗黒の淵(ふち)、絶望の淵を彷徨っています。

どうすれば彼らを救うことができるのでしょうか。主イエス・キリストの御許(みもと)には望みがあります。あなたは遙か東の国の異邦人に救いの光を照り輝かせて下さいました。主イエス・キリストは今日、私たち先に救われたキリスト者である私たちをその星として用いようとしておられるのです。あなたの御前にある仙川キリスト教会の愛する兄弟姉妹をその星の一つとしてお遣わし下さい。彼らを用いて主の栄光を全地に満ち足らせて下さい。

私たちの主イエス・キリストのお名前によってこの祈りをお献げします。  アーメン。 


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