【主日礼拝・メッセージ要約】                2003年11月9日                      
隣人に学ぶ

フィリピの信徒への手紙 2章1〜5節

メッセージ 高橋淑郎牧師

 

 聖書の中には直接に「福祉」という言葉を見つけることはできませんが、精神はそこかしこに見られます。そのひとつがこのみ言葉です。この聖句の中に、「心」という言葉が繰り返されていることに惹かれます。キリスト・イエスにも見られるものとは自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払うことだと教えられます。

 わたしたちの教会では現在、新会堂建設に携わっています。会堂を建てるにあたってわたしたちがまず心に留めたことは、全ての人に開かれた会堂造りでした。できる限り段差のない床面を心がけました。車椅子のままでトイレに入っていただけるようにしました。エレベーターを設置したのは、足腰が弱っている人、膝に痛みを感じる人、車椅子の人が1階と2階の間を自由に行き来できるようにという思いからでした。ご承知の通りこれをバリア フリーと言います。しかしこれでわたしたちは本当に全ての人をお招きできる準備ができたと言えるのでしょうか。まだどこかわたしたちの心の中に障害者の為に、高齢者の為にという少し高いところから人々を見ていることにならないでしょうか。福祉の原点は、「ために」ではなく、「共に」であるはずです。

 1974年、国連障害者専門会議からバリア フリーが建築用語として定着しました。最近はもう一歩前進して、「ユニバーサル デザイン」を考える時代となりつつあります。2002年に国際ユニバーサルデザイン会議組織委員会が日本で開催されましたが、その冒頭会長挨拶の、「若くて健康な人だけを念頭に置いたデザインはもう終わりにすべきです。高齢者、障害者、子どもたち、妊婦、生活習慣の異なる国で生活している外国人など、そういった人々が排除されることのないようなデザインが求められています」という言葉がとても印象的でした。作り手の個人的趣味や財政的理由が先行するデザインではなく、利用する人にとって使い勝手の良いデザインが必要だというのです。これこそ、「互いに相手を自分よりも優れた者と考える」関係造りの第一歩だと言えないでしょうか。そして教会こそ他に先駆けてこのことに関心を寄せるべき第一の事柄なのです。「共に」の関係造りは、何よりもさまざまな隣人から学ぶ心から始まるのだということを忘れてはなりません。  

 
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【主日礼拝・メッセージ】                 2003年11月9日                      

隣人に学ぶ

フィリピの信徒への手紙 2章1〜5節

メッセージ 高橋淑郎牧師

 

 今朝は皆さんと共に、「バプテスト福祉デー」を心に留めて主に礼拝をささげる日です。先ず、神さまから示される今朝の礼拝メッセージを分かち合い、合同分級で2人の兄弟姉妹からそれぞれ発題を聴き、福祉について学びましょう。そしてそれぞれの生活の中にこれを持ち帰っていただきたいと思います。

 かなり以前、日本バプテスト連盟の総会席上、数名の兄弟たちが壇上に立ち、障害者に対する理解を訴え、特別委員会設置を呼びかけました。それを契機に11月第2主日を「バプテスト福祉デー」と呼び、諸教会を通して社会を啓発しようということになりました。ところで、聖書には「福祉」という言葉は出てこないのでしょうか。あります。厳密に言うとありました。口語訳聖書にはエズラ記9:12、ネヘミヤ記2:10に「福祉」という訳語が見られましたが、本来の意味とはずいぶん異なって用いられているために新改訳聖書ではそれぞれ前後の言い回しから解釈して、「繁栄」とか、「ためになる」という訳語に改められています。

 このように聖書の中には本来の意味での「福祉」という言葉を見つけることはできませんが、精神はそこかしこに見られます。そのひとつがフィリピ2:1〜5です。今朝示されたこの聖句は有名で多くの人に親しまれています。ですから今更その一つ一つについて説明するまでもないかもしれませんが、ただ一点この1〜5節の短い聖句の中に、「心」という言葉が繰り返されていることに惹かれます。殊に5節の命令の意味は、古い訳の聖書を引用するとよく分かります。そこには「キリスト・イエスの心を心とせよ」と書かれているからです。キリスト・イエスにも見られるもの。キリスト・イエスの御心とは自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払うことだと教えられます。

 わたしたちは今、新会堂建設に携わっています。会堂を建てるにあたってわたしたちがまず心に留めたことは、全ての人に開かれた会堂造りでした。廊下も部屋を出入りするにもできる限り段差のない床面を心がけました。車椅子のままでトイレに入っていただけるようにしました。エレベーターを設置したのは、足腰が弱っている人、膝に痛みを感じる人、車椅子の人が1階と2階の間を自由に行き来していただけるようにという思いからでした。ご承知の通りこれをバリア フリーと言います。しかしこれでわたしたちは本当に全ての人をお招きできる準備ができたと言えるのでしょうか。この段階ではまだどこかわたしたちの心の中には障害者の為に、高齢者の為にという少し高いところから人々を見ていることにならないでしょうか。福祉の原点は、「ために」ではなく、「共に」であるはずです。

 1974年、国連障害者専門会議から建築用語として定着しました。最近はバリア フリーという言葉からもう一歩前進して、「ユニバーサル デザイン」を考える時代となりつつあります。2002年に国際ユニバーサルデザイン会議組織委員会が日本で開催されましたが、冒頭委員会会長挨拶の中に、「若くて健康な人だけを念頭に置いたデザインはもう終わりにすべきです。高齢者、障害者、子どもたち、妊婦、生活習慣の異なる国で生活している外国人など、そういった人々が排除されることのないようなデザインが求められています」という言葉がとても印象的でした。作り手の個人的趣味や財政的理由が先行するデザインではなく、利用する人にとって使い勝手の良いデザインが必要だというのです。これこそ、「互いに相手を自分よりも優れた者と考える」関係造りの第一歩だと言えないでしょうか。そして教会こそ他に先駆けてこのことに関心を寄せるべき第一の事柄なのです。要は、「為に」という高いところにたつのではなく、「共に」という謙りこそキリスト・イエスの御心なのです。「共に」の関係造りは、何よりもさまざまな隣人から学ぶ心から始まるのだということを忘れてはなりません。   祈りましょう。

 

天の父なる神さま、あなたの御名を崇めます。

 わたしたちは先週召天者を記念して礼拝をささげました。この兄弟姉妹は生前、会堂建築を覚えて祈りつつ、弱った足腰、また痛むひざをこらえて会堂に通い、靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて礼拝をささげておられました。会堂建築が現実のものとなりつつある今、わたしたちはそうした方々の姿を心に留めて、今もあなたの救いを求めておいでになる心身に障害を持つ隣人から学びつつ、心を合わせて新たな宣教と教会形成を目指そうとしています。うえから御霊による知恵を切に求めつつ、私たちの主イエス・キリストの御名によってこの祈りをおささげいたします。アーメン。


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