【主日礼拝メッセ−ジ要約】 アドベント第3週                                2006年12月17日   
主の道を整えよ
  マルコによる福音書1章1−8節
高橋淑郎牧師

 

 ここに「声」と、「言葉」の質の違いが強調されています。「声」は一瞬の響きと共に、やがて消えます。消えなければならないのです。この世にあまたの声は満ちていても、その声の中身である言葉がどういうものであるかを正しく認識していないと、とんでもない人生を選ぶことになります。ましてや、声に幻惑されてはなりません。この世には声の魅力に囚われて、言葉よりも声の主を神のように崇めている人が多くいます。声の主も自分の声に酔いしれて、自分をさもひとかどの人物のように錯覚して、人々を自分に従わせようとします。これを偽預言者と言います。最も警戒しなければならないのは、人間でありながら神の座につき、教祖となって、多くの人々を惑わしている人です。

 神に立てられた預言者は「荒野」で叫びます。ここにいう荒野とは、文字通りの荒れ野と言うよりは、「荒野」のような心の状態の人です。すさんだ心の人の許に行って、そこで救い主の到来を告げ、叫んでいます。荒野とは、一切の希望を奪い去る所です。そのように、神の御言に飢え、また渇ききった人の心、人生に何の希望もないと思っている人の心に叫んでいます。「あなたの心の道筋を真っ直ぐにしなさい。」。また、「あなたの心の大路を整えて、あなたの王である救い主イエス・キリストをあなたの人生の支配者、導き手として信じ、受け入れなさい。」と。

 だから今、この声を聞いた全ての人は心の道筋を整えましょう。真っ直ぐにしましょう。素直な心でイエス・キリストのご降誕を待ち望み、受け入れましょう。クリスマスは、実にあなたの心に平和の灯火を与え、人生の本当の意味を発見させる時なのです。あなたの心にごろごろ転がっている屁理屈や猜疑心、また自己中心という石を取り除けて、神の愛を、イエス・キリストの福音を受け入れ、生涯の導き手であるこの方に従う決心をしましょう。

 

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  【主日礼拝メッセ−ジ】 アドベント第3週                                2006年12月17日   

主の道を整えよ
  マルコによる福音書1章1−8節
高橋淑郎牧師

 

 ここに「声」と、「言葉」の質の違いが強調されています。「声」は一瞬の響きと共に、やがて消えます。消えなければならないのです。この世にあまたの声は満ちていても、その声の中身である言葉がどういうものであるかを正しく認識していないと、とんでもない人生を選ぶことになります。ましてや、声に幻惑されてはなりません。この世には声の魅力に囚われて、言葉よりも声の主を神のように崇めている人が多くいます。声の主も自分の声に酔いしれて、自分をさもひとかどの人物のように錯覚して、人々を自分に従わせようとします。これを偽預言者と言います。最も警戒しなければならないのは、人間でありながら神の座につき、教祖となって、多くの人々を惑わしている人です。

 神に立てられた預言者は「荒野」で叫びます。ここにいう荒野とは、文字通りの荒れ野と言うよりは、「荒野」のような心の状態の人です。すさんだ心の人の許に行って、そこで救い主の到来を告げ、叫んでいます。荒野とは、一切の希望を奪い去る所です。そのように、神の御言に飢え、また渇ききった人の心、人生に何の希望もないと思っている人の心に叫んでいます。「あなたの心の道筋を真っ直ぐにしなさい。」。また、「あなたの心の大路を整えて、あなたの王である救い主イエス・キリストをあなたの人生の支配者、導き手として信じ、受け入れなさい。」と。

 だから今、この声を聞いた全ての人は心の道筋を整えましょう。真っ直ぐにしましょう。素直な心でイエス・キリストのご降誕を待ち望み、受け入れましょう。クリスマスは、実にあなたの心に平和の灯火を与え、人生の本当の意味を発見させる時なのです。あなたの心にごろごろ転がっている屁理屈や猜疑心、また自己中心という石を取り除けて、神の愛を、イエス・キリストの福音を受け入れ、生涯の導き手であるこの方に従う決心をしましょう。

日本のキリスト教会の大半は欧米から来た宣教師たちによって日本各地に広がって行きました。ですから、クリスマスも欧米の習慣に従って12月25日ということで一致しています。その12月25日まで余すところ8日となった今朝、クリスマスを待ち望む最後の週になりました。クリスマスというと、子どもだけでなく、大人の私たちも何となく心が浮き立ちます。それは、主イエス・キリストが人の姿をとってこの地上にお生まれ下さったとき、天使が次のように告げたからです。

 「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(ルカ2:10−12)とあります。だからわたしたちの心は大人も子どももクリスマスを待ち望む喜びに溢れるのです。

 またわたしたちは、主イエスを待ち望むもう一人の預言者の言葉にも心ひかれます。その人の名はヨハネです。彼については「バプテスマの」という肩書きが見られます。人々に悔改めのバプテスマを施すのが仕事だからです。この人はらくだの毛ごろもに皮の帯をしめた、一見粗野な感じがします。まるで山中に身を潜め、旅人を脅して金品を奪う盗賊のようないでたちです。しかし、彼の食生活も、人となりも実に質素で謙虚です。また彼についてははるか昔から預言されていた預言者であると言います。2−3節をご覧下さい。

「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。」(マラキ3:1)

「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」(イザヤ40:3)がそれです。

 以上のように、このヨハネと言う人こそ主イエス・キリストに先立つ使者であり、人々に、その心の道を整えてイエス・キリストを迎え入れる備えをさせるために選ばれた預言者だというのです。

 ヨハネ自身も主イエスと自分との関係について、イエスこそ受肉された「言(ことば)」であり、自分はその方の奴隷ほどの値打ちもない者、たちまち消え行く「声」に過ぎない。それが、「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」(ヨハネ3:30)という意味なのです。言葉はいつまでも人々の記憶に残り、聴いた人に少なからず影響を与えます。しかし、声は語った瞬間消えて行きます。語る声がどれほど魅力的でも、心和ませるものであっても、声はいつまでも人の耳に残ってはいけないのです。メッセージを伝える者は、メッセージ以上の者ではあり得ないからです。そのように、ヨハネはイエス・キリストに対する自分の立場を良く心得ていましたから、「わたしより優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。」と言いました。

 ここに「声」と、「言葉」の質の違いが強調されています。「声」は一瞬の響きと共に、やがて消えます。消えなければならないのです。この世にあまたの声は満ちていても、その声の中身である言葉がどういうものであるかを正しく認識していないと、とんでもない人生を選ぶことになります。ましてや、声に幻惑されてはなりません。この世には声の魅力に囚われて、言葉よりも声の主を神のように崇めている人が多くいます。声の主も自分の声に酔いしれて、自分をさもひとかどの人物のように錯覚して、人々を自分に従わせようとします。これを偽預言者と言います。最も警戒しなければならないのは、人間でありながら神の座につき、教祖となって、多くの人々を惑わしている人です。

 神に立てられた預言者は「荒野」で叫びます。ここにいう荒野とは、文字通りの荒れ野と言うよりは、「荒野」のような心の状態の人です。すさんだ心の人の許に行って、そこで救い主の到来を告げ、叫んでいます。荒野とは、一切の希望を奪い去る所です。そのように、神の御言に飢え、また渇ききった人の心、人生に何の希望もないと思っている人の心に叫んでいます。「あなたの心の道筋を真っ直ぐにしなさい。」。また、「あなたの心の大路を整えて、あなたの王である救い主イエス・キリストをあなたの人生の支配者、導き手として信じ、受け入れなさい。」と。

 だから今、この声を聞いた全ての人は心の道筋を整えましょう。真っ直ぐにしましょう。素直な心でイエス・キリストのご降誕を待ち望み、受け入れましょう。クリスマスは、実にあなたの心に平和の灯火を与え、人生の本当の意味を発見させる時なのです。あなたの心にごろごろ転がっている屁理屈や猜疑心、また自己中心という石を取り除けて、神の愛を、イエス・キリストの福音を受け入れ、生涯の導き手であるこの方に従う決心をしましょう。  祈りましょう。

 

天の父なる神さま。あなたの御名を崇(あが)め、讃美します。

 バプテスマのヨハネは主イエスのみ前にへりくだって、自分は奴隷にも値しない者、消え去るべき声に過ぎないと言いました。預言者は声であり、主なる神の御心、神のみ言葉を伝える器として用いられればそれで良いと教えました。しかし、今日、何と多くの偶像の神々と、その教祖たち、また占い師や偽預言者が神の託宣と偽って、甘い囁きで人々の心を惑わしていることでしょうか。また、多くの人々もこのような声の魅力に惹かれて暗闇の人生を送っています。心が荒れ野のような状態になっているからです。2千年前、荒野で神の御言葉を取り次いだバプテスマのヨハネの時代と何も変わっていません。今も多くの人の心の中は無味乾燥で希望を見失った荒野のようです。

 どうか、この礼拝に与っている人の心を整えてください。暗闇に射す光の主イエスを受け入れる素直な心へと、その道筋をまっすぐにさせてください。

わたしたちの救い主イエス・キリストの御名によって。アーメン。


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