【主日礼拝・メッセージの要 約】 2008年9月7日
「平和への祈り 」
井上とも子師
神の言葉には時として、明らかに自分にとって損なこと、不利なこと、危険なことをしなさいという命令があります。「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい(5:44)」との言葉は、普通の人間には厳しすぎて、実行不可能のように思われます。しかし歴史上の多くの証し人の生き様からも、人間には恐れを越え、不利益を越え、本能を越えて、神の言葉に従い、「平和を実現する(5:9)」ために身を投じる能力が与えられているということを知らされます。
「主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。私に慰められることよりも、慰めることを、理解されることよりも、理解することを、愛されることよりも、愛することを望ませてください。」この聖フランシスコの「平和を求める祈り」にあるように、平和の実現とは、悪者を懲らしめ、他者の心を変えさせることではなく、自分自身の不寛容との決別から始まるものでしょう。
不可能を可能にしてくださる神の力を仰ぎ、たとえ小さな働きでも、神の呼び声に従う道を選べるようにと祈るものです。
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