【主日礼拝・巻頭言】                                 2008年10月12日 

「神様、聞いて下さい」    

 
聖書マルコによる福音書10章46−52

 

山岸 明牧師

 

 私達が神様に祈るときに大切なことが三つあります。
 初めに「私の求めをはっきりと」 イエス様は弟子たちと一緒に村から村へと福音を述べ伝えながら伝道をされていた。そんな時、一人の盲人が物乞いをするために道端に座っていました。名はバルティマイ、彼は目が見えず乞いをするしか生きる道がありませんでした。あるときイエス様が来たと聞いてバルティマイは大声で叫びました「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と何度も叫び続け、この叫びがイエス様の足を止めました。イエスは立ち泊まり、弟子たちにあの男を呼んで来なさいと言われた。イエス様の前に来たバルティマイは哀れみをねがいました。しかし、哀れみを請うバルティマイに対してイエス様は、私に「何をしてほしいのか」と問いました。これは、あなたの本当の求めは、願いは何かと聞かれたのです。バルティマイは「先生、目が見えるようになりたいのです」と本心を語りました。イエス様は、今一番必要としている事をはっきりと願い求める事を私たちに望まれたのです。

  次に「大きな夢をもつこと」教会のために、自分のために、愛する人たちのために、大きな夢を持って祈ることであります。仕事にも、勉強にも、夢を持たなくなると、毎日が惰性の奴隷のようになってしまいます。逆に夢を持つと言う事は前向きに生きる事にもなります。そうすると祈りも具体的なものになっていくのです。

  最後に「祈りは待つこと」祈ったら何でも思い通りにすぐ実現する事はありません。時が来るのを待つ事が大事です。全ての事には定められた順序があります。例えば、初めに芽が出て、次に穂になり、そして豊かな実が結ぶのです。イエス様も「時は満ちた」「私の時はまだ来ていない」「わたしの時は近づいた」と言われたように、イエス様にも時があったのです。私たちの祈りに答えるのに、神様の定めた時がある事を私たちは知らなければなりません。しかし、それは私たちに一番良い者、一番必要なものを与えるために「待つこと」を教えているのです。「パンを欲しがる子供に石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか」「求めなさい。そうすれば与えられる。」と約束をして下さっています。故に「求めをはっきりと」「大きな夢をもって」「待つ」ことを覚え祈りましょう。

 音声によるメッセージ

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 【主日礼拝・メッセージ】                                 2008年10月12日 

「神様、聞いて下さい」    

 
聖書マルコによる福音書10章46−52

 

山岸 明牧師

 私たちが神様に祈るときに大切なことが三つあります。1、 私の求めをはっきりと 2、大きな夢をもつこと 3、待つことです。
イエス様は弟子たちと一緒に村から村へと福音を宣べ伝えながら伝道をされていた。そんな時、一人の盲人が物乞いをするために道端に座っていました。名はバルティマイ、彼は目が見えませんので物乞いをするしか生きる道がありませんでした。その事で彼はきっと心を痛めていたでしょう。また、自分が生まれて来た事を恨んだ事もあったと思います。


 そんな状況の中で、イエス様が来たと聞いて、バルティマイは大声で叫びました「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と何度も叫び続けました。イエス様の御言葉に耳を傾けていた弟子や群衆たちは、彼の叫びがうるさくて、イエス様の声がバルティマイの「私を憐れんで下さい」と言う大きな叫び声に打ち消されてしまいました。人々は彼を叱りつけて黙らせようとしたが、バルティマイはますます大声で「私しを憐れんでください」と叫んだのです。しかし、この叫びがイエス様の足を止めたのです。イエスは立ち止まり、弟子たちにあの男を呼んで来なさいと言われました。イエス様の前に来たバルティマイは憐れみを願いました。ここに、こんなみじめな人間がいます。こんな哀れな人間がいます。どうか助けてください、同情してくださいと叫びました。


 しかし、憐れみを請うバルティマイに対してイエス様は私に「何をしてほしいのか」と問いました。あなたの本当の求めは、願いは何かと聞かれたのです。バルティマイは「先生、目が見えるようになりたいのです」と本心を語りました。そして「あなたの信仰があなたを救った」と言われ盲人バルティマイは見が開かれ救われました。バルティマイにとって目が開かれることなど夢の夢、そんな夢みたいな事を願うよりも、もっと現実的なこと、こんな哀れな、惨めな自分を同情してほしい、それだけで良いと願ったのです。しかし、イエス様はありのままの自分の、いま一番必要としている事をはっきりと願い求めることを私たちに望まれたのです。
そして2つ目に「大きな夢を持つこと」
教会のために、自分のために、愛する人たちのために、大きな夢を持って祈ることであります。仕事にも、勉強にも、夢を持たなくなると、毎日が惰性の奴隷のようになってしまいます。逆に夢を持つと言うことは前向きに生きる事にもなります。そうすると祈りも具体的なものになっていくのです。
3番目に「祈りは待つこと」

 祈ったらなんでも思い通りにすぐ実現することはありません。時が来るのを待つと言う事が大事です。全てのことには神が定められた順序というのがあるのです。例えば、初めに芽が出て、次に穂になり、そして豊かな実が結ぶのです。イエス様も「時は満ちた」「私の時はまだ来ていない」「わたしの時は近づいた」と言われたように、イエス様にも時があったのです。私たちの祈りに答えるのに、神様の定めた時があることを私たちは知らなければなりません。私たちに一番良いもの、一番必要なものを与えるために、「待つこと」を教えているのです。では、待つことから私たちは何を学ぶでしょうか? それは忍耐することです。どんな状況でも神様を信頼すること、今は実現することが無理だと思えても、神様の約束を信じて、期待して待つこと、あの盲人バルティマイも道端に座って物乞いをしていた事は忍耐の日々だったでしょう。しかし、その忍耐ゆえにイエス様に出合う事が出来たのです。私たちはただ「待つ」という事はなかなか出来ません。何故か、そこには希望も何もないから、しかし「祈って待つ」という事はそこに希望があります。だから忍耐することもでき期待も出来るのです。そして何よりも御子イエスを与えて下さったほど、私たちを愛して下さる父なる神に祈っていると言う事です。「パンを欲しがる子供に石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか」「求めなさい。そうすれば与えられる。」と約束をして下さっているのです。「求めをはっきりと」「大きな夢をもって」「待つ」ことを覚え祈りましょう

  

 

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