【主日礼拝・巻頭言】                                        2009年1月4日 

 『あなたは必要とされている』  

 マルコによる福音書11 章1−11 節

 

山岸 明牧師


 「二人が子ろばを連れてイエスのところに戻ってきて、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。」(7) イエス様は大きくて強そうな
「ろば」に乗らず、弱々しい使い物にならない小さな「子ろば」を必要とされました。


 自分が何故、生まれてきたのかと質問されたとき、神様を知らない多くの人は「偶然」だと答えます。進化論を常識と考える今の科学教育の中では、あな
たがこの世に生まれたのも、長い時の流れの中で単なる偶然に過ぎないと教えます。言い方を変えれば、私たちは「わたし」として生まれてきたのではなく、
たまたま生まれて来たから「わたし」になったと言う事です。しかし神様を知るとき、それは偶然ではなく、神様による必然だと言う事に気が付きます。
あなたが生まれたのは、神様があなたを必要とされたからです。故に無駄な命というのは一つもありません。神様は必要なものしかお創りにならない方だ
からです。あなたが「あなた」として生まれたのは、神様があなたを必要とし、あなたを愛して創ってくださったのです。それは神様による必然なのです。故
に命というものは全て尊いのです。


 自分で自分に自信が持てなくても、神様が私たちを必要とし、私たちを使って下さいます。こんな私が・・・何故あの人が・・・と思う時に「主がお入用
なのです」と言う意味を知り、私たちの生きる意味や目的といったものがはっきりと見えてくるのです。

▲音声によるメッセー ジ

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【主日礼拝メッセージ本 文】                                       2009年1月4日 

 『あなたは必要とされている』  

 マ ルコによる福音書11 章1−11 節

 

山岸 明牧師

 皆さんは自分の存在につい て 考えた事はありますか。?
自分は何故、生まれてきたのか? 一体何の為に生きているか? そんな悩みや疑 問を持つ方もいます。また世の中で自分は役に立っているのか。誰かから必要とされているのかと考えるときもあります。人間には「必要とされたい」という感 情が自然に備わっていると言われています。アブラハム・マズローという心理学者が唱えた有名な学説に「欲求のピラミッド」「マズローの欲求段階説」があり ます。それは、人間にはピラミット状の5段階の欲求が在ると言われています。

1、「生理的欲求」それは、衣、食、住、それが満たされると、

2、「安全の欲 求」が出てきます(安定、守られたい)、それが満たされると、

3、「親和の欲求」他人と関 わりたいという欲求、(愛されたい、必要とされたい)それが満た されると、

4、「自我の欲求」自分が価 値のある存在だと認めてもらいたい、他者から尊敬されたいという欲求です。

5、「自己実現」自分の要求 通りにしたい という欲求。 特に3までが多いと言います。それは、人というのは常に誰かに必要とされたい、そこに自分の生きている意味、意義を見出そうとするのです。 今の社会の中で本当に自分は必要とされていると自信を持って言える人は少ないのではないでしょうか。

 イエス様がエルサレムに入られるとき、二人の弟子を使いに出し「向こうの村へ 行 きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない「子ろば」がつないであるのが見つかる。それをほどいて連れてきなさい。もし、だれかが『なぜ、そ んなことをするのか』と言ったら『主がお入用なのです』と言いなさい。2・3 もし「ろば」に乗るのであれば、誰が見ても、今まで人を何回も乗せた事のあ る大きくて強そうな「ろば」を必要とするはずです。しかし、イエス様は弱々しい、まだ使い物にならない、小さな「子ろば」を必要とされたのです。こんな小 さな役に立たない「子ろば」をなぜ必要とするのか、それは「主がお入用なのです。」

 自分がなぜ生まれてきたのかを考えるとき、神様を知らない人は「偶然」だとし か 答えられません。進化論を常識と考える今の教育の中では、人間が出来たのも、あなたがこの世に生まれたのも、長いときの流れの中で、単なる偶然に過ぎない と教えるのです。言い方を変えれば私たちは「わたし」として生まれてきたのではなく、たまたま生まれてきてから「わたし」になったと教えられるのです。し かし神様を知るとき、それは全く正反対の事だと分るのです。偶然だとしか思えないことが、神様による必然だということに気が付かされるです。あなたが生ま れたのは、神様があなたを必要とされたからなのです。神様は必要なものしかおつくりにならない方だからです。あなたが「あなた」として生まれたのは、神様 があなたを必要とし、あなたを愛してこの世に誕生させたのです。それは、神様による必然なのです。だから命というものは全て尊いのです。

 私はこんなに小さな弱い人間、何をやってもダメ、自分で自分に自信が持てなく て も、神様が私たちを必要とし、私たちを使って下さるのです。この事を知るとき、私たちの生きる意味、目的といったものがはっきりと見えてくるのです。私は 必要があって生かされている、神が必要に応じて私を用いてくださる。そして人生に意味が与えられるのです。人生最大の悲劇は死ぬ事と言われていますが、実 はそうではなく、実は何の為に生きているかが分らない人生ほど辛いものはないのです。人は人生の意味や目的が分からず、過去のことに捕らわれ、それに苦し み、そこからなかなか抜け出せないことがあります。そしてそんな自分を受け入れられず、頭を抱えてしまうのです。イエス様は「なすべきことはただ一つ、後 ろのものを忘れ、前のものに全身を向けなさい」フィリポ3:13 今までどうせ私なんか、どうせ俺なんか、そんな否定的な生き方をしてきた人、あなたを神 が必要としているのです。「主がお入用なのです」と言ってくださっている、私たちは、そこに心を向けて歩まなければなりません。イエス・キリストを主と信 じるならば、この約束を信じ、こんな私、俺だけれども「主がお入用なのです。」を信じて歩みましょう。



 

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