【主日礼拝・要旨】                                        2009年4月 5日 

 『誰がイ エスを十字架に付けたのか』  

ルカによる福音書236 −12

山岸 明牧師


                         
   「イエスはご自分が長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに打ち明 けた。すると、ペトロはイエス様をわきにお連れしていさめ始めた。主よ、とんでもない事です。そんな事があってはなりません」21−22しかし、イエス様 を心配して言ったペテロに対して「サタン、引き下がれ」23と仰せられました。

 このようにイエス様の進む道を遮る事に対して、「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者」と言われたのです。ではイエス様が言われた「引き 下がれ」とはどういう事でしょうか。それは「私から離れなさい」「あっちに行きなさい」「向こうへ行きなさい」と言うのではなく、私の後ろに回りなさい、 後ろに従いなさいと言われたのです。つまり、私の前に立つな、私の導き手になるな、と言うことです。実は私たちは知らず知らずのうちにイエス様の前に立 ち、イエス様を自分に従わせようとするのです。

 私たちは決してイエス様を自分に従わせようなどと悪意を持つ事はありませんが、しかし、結果的にそうしてしまうのです。イエス様の道より私の道を優先さ せるのです。故にイエス様は私の後ろに回って御覧なさい、そうすればはっきりと見える、自分の中に悪魔が住んでいる事が分かり「神の事を思わず、人間の事 を思っている」そんな自分がいることがわかると言われたのです。人間の事を思う心は大切であります。しかし、それ以上に神の事を思う心が必要なのです。

 「私についてきたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」24 自分の十字架とは何でしょうか?それは主イエスのみ後に従って生 きる時こそ、自らの十字架を負う事になるのです。自己中心である時はイエス様の前に出てイエス様を従わせようとします。神の子イエスが十字架で血を流され たのは私たちの野望を満たす為のものではありま。私たちは決してイエス様の前に立つ者であってはならず、イエス様の後ろに立つ者でなければならません。イ エス様が私たちの導き手であり、私たちがイエス様の導き手ではありません。その事をしっかりと覚え自らの十字架を背負いイエス様に従いましょう。

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