【主日礼拝・要 旨】                                        2009年6月21日 

 『良き言葉は人を生かす』 

詩篇1:1−3 

 「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」詩篇1:3

 主の教えは聖書に記されていますが、それは単に言葉として書かれているのではなく、生きた御言葉として私たちに与えられているのです。「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言は神であった。」ヨハネ1:1では、与えられた御言葉を実生活の中でどのように用いていったら良いのでしょうか。

 御言葉を覚える : 聖書の御言葉を覚えていく事が私たちの人生に大きな影響を与えます。パウロもこの矛盾した世の中に生きていくときに「霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい」エフェソ6:17。と言います。御言葉は誘惑を退ける力、私たちが正しく決断をする力、また不安になったり、悩んだり、迷ったり、イライラしたりする心をなぐさめ回復させ、元気づけてくれる力そのものです。こうして御言葉が私の心を支配し私を導いてくださり、私を大きく成長させてくださるのです。

 御言葉を黙想する : 「主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人」2とありますが、これはお経のように唱えることではありません。思いうかべること、これを黙想すると言います。この黙想するという言葉に使われているヘブル語(原文)では反芻(はんすう)すると言う意味があり、何度も繰り返すと言う事です。思い煩いというのは、言い換えれば、否定的な事柄を黙想している。つまり反芻しているのです。何度も同じ心配事、同じ悩みを繰り返し思い起こして思い煩うのです。御言葉を黙想することは同じように霊的栄養分を吸収するのです。この繰り返しが、「とき来れば実を結び、葉もしおれることはない」3のです。

 キリストに似た者となる : 「あなたがたは、心を新たにして自分を変えていただきなさい」ローマ12:2 私たちが御言葉を黙想し、主を思いめぐらすとき、実は自分の心を神に造り変えて頂いているのです。悪い否定的な思いを、良い肯定的な思いに置き換えて頂いているのです。こうして私たちは霊的栄養分を吸収し神に似た者として造られていくのです。「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、心にあるのだから、それを行うことが出来る」申命記30:14故に「その人のすることはすべて、繁栄をもたらす」3のです。

 

 

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