【主日礼拝 メッセージ】 2009年11月22日
パウロとシラスはフィリポの町で捕えられ、鞭で打たれて、牢の一番奥に投げ込まれました。先にステファノやヤコブが殺されたという状況から考えて、当然「死」を覚悟しなければなりません。だが、そのような状況の中でパウロたちは真夜中に賛美の歌をうたい神に祈っていたのです。本来なら恐怖に怯え、不安と絶望になるところですが彼らは違いました。神への絶対的な信頼を疑わない信仰がパウロたちに勇気と希望を与えたのです。
更に祈りの答えとして大地震が起こり、全ての囚人の鎖が外れました。見張りをしていた看守は囚人が全て逃げてしまったと思いその場で自害しようとしました。しかし、パウロからの自害してはならないとの声に、われに返った看守はパウロに「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」パウロは一言「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます。」30−31看守と家族はこの御言葉を信じ、その証としてバプテスマを受け救いにあずかりました。
朝になりローマの高官たちはパウロを釈放しようと牢にやって来ました。そこでパウロは役人たちに自分がローマの市民権を持つ者である事を伝えました。それを聞いた役人は非常に恐れました。(当時ローマ市民権を持つ者は法によって手厚く保護されていた)ローマの高官たちは自分が罰せられる事を恐れ、パウロの前に出向いて行き丁重にわびを入れたのです。
今日の話の中には全く違った二つの救いが描かれています。一人は看守で、自分自身の罪を悔い改め「救われるためにはどうすべきでしょうか。」とパウロにすがって行きました。もう一人はローマの高官です。パウロたちがローマ市民権を持つ者と知り、高官という社会的地位、身分を失う事を恐れ、パウロに詫びました。この二人は同じ罪を犯しているにも関わらず、一方は神に対する恐れから神に救いを求め、もう一方は社会に対する恐れから社会に救いを求めていきました。神は問われます。あなた方はどちらを選ぶのか?「私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」使徒言行録4:12
福音メッセージ一覧へ |