【アドベント第3週 主日礼拝 メッセージ】                                       2009年12月13日 

『神の足音をきく』 

ルカによる福音書 7: 18-23


  ある日、ヨハネは自分の方へイエス様が来られるのを見て言った「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(ヨハネ1:29) この方こそ来るべき救い主、キリストである、とヨハネは悔い改めを説き、ヨルダン川で洗礼を授け、そして預言者として、神から与えられた御言葉を厳しく語り続けました。その結果、ヨハネはヘロデ王の怒りに触れ、逮捕され、牢に入れられたのです。
ヨハネにとって、牢に入れられようが、この先死刑になろうが、神様から与えられた自分の使命は果たしたので悔いはない、という気持ちになると思われましたが、ヨハネは牢の中で、キリストのなさっている事を聞いて疑問を抱き、弟子たちを遣わして、イエス様に聞きました「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」(20)。


 「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」(22、23) その言葉を弟子から聞いたヨハネは自分が思うキリストと違っていました。「良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」(マタイ3:10) 「手に箕をもって、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」(マタイ3:12) 神に背を向けるすべての人を裁く審判者であるキリストです。


 ところがヨハネの聞いた救い主イエス様はガリラヤという田舎町で、苦しんでいる病人を癒し、悪霊を追い出し、嫌われ者と一緒に食事をし、友なき人の友となる、まるで人々に仕える、へりくだったイエス様の姿でした。ここにつまずいたのです。つまずきとは大きな石につまずくのではなく、小さな石につまずくのです。「私につまずかない人は幸いである。」(23) 私たちはしっかりと神の足音を聞き、私たち自身イエス様につまずかないように、また、相手をつまずかせないようにしましょう。

 
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